己の欲せざる所は人に施すなかれ|論語 衛霊公第十五|

第一章 大きく生きる

己の欲せざる所は人に施すなかれ
己の欲せざる所は人に施すなかれ

第一章 大きく生きる

 


おのれほつせざるところは、ひとほどこすなかれ

ー己所不欲、勿施於人ー   論語 衛霊公第十五の二十四
(論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。
儒家の聖典とされている。四書の一つ。)

{原文}


子貢問曰、
有一言而可以終身行之者乎、
子曰、其恕乎、
己所不欲、勿施於人也。

{書き下し文}


子貢しこう問うて曰わく、
一言にしてって終身しゅうしんこれを行うべき者ありや。
子曰わく、じょか。
おのれほつせざるところ、人にほどこすことなかれ。

己の欲せざる所は人に施すなかれ
己の欲せざる所は人に施すなかれ


{意解}

じょ」ということばは 孔子の信条であったらしい。  
孔子は弟子の子貢しこうから
「この一言なら生涯守るべき信条とするに足るー そうゆう言葉はありましょうか」
という問いに

「それじょか。おのれほつせざるところひとほどこすなかれ」
自分が人からされたくないことは、 自分の方からも人にしない。
それが「恕」である。
他人の心をって自分の心とすること、
言うは易いが、実行するのはすこぶる難しく、

ことばとして弟子に言える孔子はさすがだ。

自分の信条はなんだろう!?


「貴方の信条は何ですか」 !!

論語  雍也に
己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す」とある。
「自分の名誉を大切に思うなら、 まず他人の名誉を重んずる。
自分が自由でありたければ、 まず他人の自由を重んずる」 と訳せる。
孔子が一番重要視したのが「じん」である。

しかし、「仁」を「論語」のなかで、 明確に定義しておらず、
相手や、質問に応じて様々な言い方をしている。これもその一つである。
「仁」とは 人間にとって最も普遍的ふへんてき包括的、ほうかつてき根源的こんげんてき
を意味するもの として考えられてきた。

(他人に対する親愛の情、優しさ)
それは社会人としての基本条件と言える。儒学を大成した孔子は

君子は仁者でなければならないと説いている。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。