罪を冥々に得ることなかれ|無得罪於冥冥|菜根譚 前集 48項|

第二章 自己を高める
罪を冥々に得ることなかれ
ー無得罪於冥冥ー 菜根譚 前集 48項
【菜根譚:明の洪自誠編。前集222条では人との交わり、事治、対応の道を説き、後集135条では退静閑居の楽しみを論じている】
原文:
肝受病、則目不能視。
腎受病、則耳不能聴。
病受於人所不見、
必発於人所共見。
故君子、
欲無得罪於昭昭、
先無得罪於冥冥。
書き下し文:
肝、病を受くれば、目、視ること能わず。
腎、病を受くれば、耳、聴くこと能わず。
病いは人の見えざるところにて受けて、
必ず人のともに見えるところに発す。
ゆえに君子は、
罪を昭々に得ることなきを欲せば、
まず罪を冥々に得ることなかれ。
*昭々:すみずみまであきらかなさま
*冥々:はっきりと形をとって表れないうち

意解:
肝臓が病むと、目は見えなくなり、
腎臓が病むと、耳は聞こえなくなる。
このように病は人に見えない内部に起こって、
やがて必ず誰にも見える外部に現れる。
だから、
人前で罪を得たくないならば
先ずは人から見えないところでも
罪を犯してはいけないといっている。
誰にも知られていないと思っていても、
「天知る、地知る、我知る、子知る(四知)」である。
十八史略 東漢に「天知る、地知る、我知る、子知る」とある。
「誰も知らないことはあるまい。まず、天が知っている、
地が知っている、私も知っているし、そなたも知っているではないか
(天知る、地知る、我知る、人知る)。誰も知らないことはない。」
この話は、楊震の「四知」として知られている。聖職・官職にある者は、
これくらいの厳しさが望まれるのかもしれない。又、
不正行為はいつかは必ず発覚するという教訓でもある。
善い行いも然りである。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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