慮らずんば胡ぞ獲ん、為さずんば胡ぞ成らん|書経 太甲下篇|

第六章 成功の心得

慮らずんば胡ぞ獲ん、為さずんば胡ぞ成らん
慮らずんば胡ぞ獲ん、為さずんば胡ぞ成らん

第六章 成功の心得

 

おもんばからずんばなんん、さずんばなんらん

ー弗盧胡獲、弗為胡成ー    書経 太甲下篇
(書経:二十巻。「尚書」のこと。五経の一つ。堯、舜の伝説時代から夏、
殷を経て、周代に至る間の政治に関する記録。初めは単に「書」といったが、
宋代になって「書経」と呼ばれるようになった。)

{原文}

弗盧胡獲、
弗為胡成。

{書き下し文}

おもんばからずんばなんん、
さずんばなんらん。

慮らずんば胡ぞ獲ん、為さずんば胡ぞ成らん
慮らずんば胡ぞ獲ん、為さずんば胡ぞ成らん


{意解}

 役立つ情報も、左から右ではなんともしがたい。
現代の溢れている情報にながされず、

自分の頭で熟考し、身につけなさい。
身につけた知識も役立てなければ無に終わるといっている。

上杉鷹山うえすぎようざんんだ詩に
せばなる さねばならぬ 何事なにごとらぬはひとの さぬなりけり

何事も、やればできる。やらなきゃできない。できないという人は
(考えるだけで)実際に行動を起こさないからだ。と詠んでいる。

菜根譚 前集 56項にも「書を読みて聖賢を見ざれば、鉛槧の傭たり」とある。
古人の書物を読んで、字句の解釈だけで聖賢の心に触れなければ、
それは単なる文字のやとわれ者にすぎない。官位につき俸給を貰っていても、
国民を愛さなければ、ただの制服を着た給料泥棒だ。学問を講じても、
実行していなければ、それは口先だけの知識にすぎない。
事業を起こしても、社会貢献しなければ、
眼前の切り花のように一時の事業で終わってしまう。

どの一文も、身につまされる56項である。
画餅に終わらさず、その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように

己に落とし込みたいものですね。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。