第二章 自己を高める
小人閑居して不善を為す
ー小人閑居為不善ー 礼記 大学 伝六章
(中庸:もと「礼記」中の一篇であったが、後に四書の一つに数えられた。
孔子の孫の子思の撰と伝えられている。)
{原文}
小人閒居爲不善、無所不至。
見君子而后厭然、揜其不善、而著其善。
人之視己、如見其肺肝然、則何益矣。
此謂誠於中形於外。
故君子必慎其獨也。
{書き下し文}
小人間居して不善をなす、至らざる所なし。
君子を見て而后厭然として、その不善を揜いてその善を著す。
人の己を視ること、その肺肝を見るが如く然れば、則ち何の益かあらん。
これを中に誠なれば外に形るという。
故に君子は必ずその独りを慎むなり。
*厭然: 見て見ぬふり
*肺肝:物事の真相を見抜くこと
{意解}
耳にしたことのある言葉だろう。 「間居」は独りでいること。
そんな時、 善からぬことを考え、
何をしでかすかわからないのが、小人だという。
人間の修養は 「一人でいるときにどのように過ごすか」 にかかっている。
「不善」は、自ずと容貌や態度に現れ、 隠しきれないのである。
誰も見ていない、誰も聞いていないから大丈夫だろうと 安易に考え、
軽い気持ちでやってしまいがちであるが、人は騙せたとしても、
自分は騙せず 心の負い目となる。
「天知る、地知る、我知る、子知る」とも十八史略 東漢に記されている。
「誰も知らないことはない。天が知っている、地が知っている、
私も知っているし、そなたも知っている(天知る、地知る、我知る、人知る)。
誰も知らないことはない。」
この話は、楊震の「四知」として知られている。
聖職・官職にある者は、これくらいの厳しさが望まれるのかもしれない。
又、不正行為はいつかは必ず発覚するという教訓でもある。
善い行いも然りである。
現在は、 休みも多く、一人でいる機会が多い。
どのようにその時間を活かせるか、自問することも必要だろう。
「君子は必ずその独りを慎む」である。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。