智は禍を免るるを貴ぶ|智貴免禍|三国志 蜀書 劉彭廖李劉魏楊傳|

第八章 リーダーの心得
智は禍を免るるを貴ぶ
ー智貴免禍ー 三国志 蜀書十 劉彭廖李劉魏楊傳第十
【三国志:六十五巻。正史の一つ。漢滅亡の後、天下を三分した三国(魏、呉、蜀)に関する史書。五代の晋、陳寿の撰】
原文:
智貴免禍、
明尚夙達。
書き下し文:
智は禍を免るるを貴ぶ、
明は夙達を尚ぶ。
*夙達:早期に道に通ずること。

意解:
智謀、知略など、「智」という言葉から連想されるのは、
すばらしい頭の冴えであり、切れる人物のイメージである。
たしかに、そうにはちがいないのだが、しかし、
ほんものの「智」とは、派手に目立つようなものではないようだ。
たとえば、倒産しそうな会社を立て直したというような
だれにでもそれとわかる「智」は、「智」は「智」でも、
まだレベルの低い「智」であるらしい。
それを語っているのが、表題のことばである。
「智」の重要な働きは、禍を免れることにあり、
聡明の優れた点は、早く物事の道理を理解する事であるというのだ。
つまり、倒産会社を立て直すよりも、
会社を倒産の危機に至らしめないように経営する。
これこそが、ほんものの「智明」なのだという。
だから、こういう「智」は大向こう(舞台から最も遠い客席)を
うならせるようなものではなく、ありようとしてはきわめて地味なのだ。
組織のリーダーに必要とされるのは、じつはこういう「智明」なのである。
管子 牧民 六親五法に
「ただ有道者のみ能く患をいまだ形れざるに備う」とある。
「有道者」とは、すばらしい徳と能力をもった人物のことである。
この場合は立派な指導者といった意味。そういう人物であってこそ、
はじめて禍を未然に防ぐことができるのだという。
その理由として「管子」は、つぎの二点をあげている。
一、時宜(ちょうどよい時)を得た対策を立てるので、常に大事に至らない。
一、公平無私な態度で臨むので、広く部下の支持を集めることができる。
リーダーたる者、組織の安泰をはかろうとするなら、まず、
みずからの徳と能力を磨け、ということだ。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません