鞠躬尽力、死して後已まん|三国志 諸葛孔明 後出師表|
第八章 リーダーの心得
鞠躬尽力、死して後已まん
ー鞠躬尽力、死而後已ー 三国志 諸葛孔明 後出師表
【三国志:六十五巻。正史の一つ。漢滅亡の後、
天下を三分した三国(魏、呉、蜀)に関する史書。五代の晋、陳寿の撰】
原文:
臣鞠躬尽力、死而後已。
至於成敗利鈍、
非臣之明所能逆睹也。
書き下し文:
鞠躬尽力、死して後已まん。
成敗利鈍に至りては、
臣の明の能く逆め睹るに非ざるなり。
*逆(あらかじめ):あらかじめ。前もって。
意解:
「三国志」の諸葛孔明は劉備亡き後、その遺言によって蜀の全権を握り、
漢王朝の正統を回復すべく、宿敵の魏に戦いを挑んだ。
この戦いは、国力のちがいなど諸般の事情を考え合わせれば、
初めから勝ち目の薄い戦いだった。だが、孔明としてはなんとしても
やり遂げなければならない。なぜならそれが劉備の遺言であり、
蜀という国の掲げた国家目標でもあったからだ。
このときの孔明の決意を語っているのが、
この「鞠躬尽力、死して後已まん」という言葉である。
これは、孔明が二代目劉禅に奉った出陣の挨拶状とでも言うべき
「後出師の表」の結びのところに出てくる。
「鞠躬」とは、上の者の命令をかしこんで承るといった意味で、
この場合、命令とは劉備の遺言ということになろう。
孔明の後半生はまさに「鞠躬尽力」そのものであり、
それが長く人々の感動を誘う理由となっている。
十八史略 巻三 東漢の「時務を識るは俊傑に在り」で劉備は吾に孔明有るは、
魚に水有るが如き(水魚之交)ものであるとまで言っている。
「時務を識る」とは、現代とはどういう時代なのか、
時代の流れをしっかりとつかみ、
そのなかで何をなすべきかを知っていること。
それができるのが、すなわち「俊傑」なのだという。
「三国志」の劉備が荊州に身を寄せて不遇をかこっていたとき、
司馬徽という人物を訪ねて意見を求めた。司馬徽が語るには、
「儒生俗士、あに時務を識らんや。時務を識るは俊傑に在り」と言って、
伏竜の諸葛亮、鳳雛の龐統、二人の人物を紹介した。
やがて劉備はこの二人を軍師に迎え、それがキッカケとなって
大きく羽ばたいていくのである。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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