管を以って天を窺う|以管窺天|史記 扁鵲倉公列伝|

第二章 自己を高める
管を以って天を窺う
ー以管窺天ー 史記 扁鵲倉公列伝
(史記:百三十巻。前漢の司馬遷が撰した、中国最初の通史です。上古の黄帝から、漢の武帝までの歴史を紀伝体で記しています。)
{原文}
扁鵲仰天歎曰、
夫子之爲方也、
若以管窺天、
以郄視文。
{書き下し文}
扁鵲天を仰ぎて歎じて曰く、
夫子の方たるや、
管を以って天を窺い、
郄を以って文を視るが若し。
*歎:なげく
*郄:すきま

{意解}
狭い見識を基準にして、大きな問題について自己流の判断を下すたとえで、
視野の狭さを笑った言葉である。
扁鵲という名医が、虢という国にいったときのこと、
つい今しがた太子が亡くなったという話を聞いた。
御典医に会ってくわしく様子を聞いた扁鵲は、これこれの処方をすると、
生き返らせることができると教えてやった。だが、相手は信用しない。
このとき、扁鵲の言ったのがこの言葉である。
けっきょく、扁鵲は王の頼みで太子を診察し、 生き返らせる。
この故事「管を以て天を窺う」だが、視野が狭くなるのは、
大抵自分が属する組織のなかに埋没しているからだと説く。
そうならないためには,普段から別の組織や異業種の人間と
積極的に交流し合うべきだろう。異業種交流も重要に思える。
史記にも「夜郎自大」があり、
自他の位置関係を正確に理解していない視野の狭さ故の尊大な振る舞いは、
親交のチャンスまで失くしてしまう。
広い視野を持つ(俯瞰的視野)ように心がけたいですね。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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