第四章 着実に生きる
良賈は深く蔵して虚しきが若し
ー良賈深蔵若虚ー 史記 卷六十三 老子韓非列傳 第三
(史記:百三十巻。前漢の司馬遷が撰した、中国最初の通史です。
上古の黄帝から、漢の武帝までの歴史を紀伝体で記しています。)
{原文}
良賈深蔵若虚、
君子盛德容貌若愚。
{書き下し文}
良賈は深く蔵して虚しきが若く、
君子は盛徳ありて容貌愚なるが若し。
*盛徳:りっぱな徳。有能な人間
{意解}
これは孔子が若い時に、老子のもとを訪ねて教えを受けたことがあった。
そのときの老子はこの一句を引いてこう語ったという。
「ほんとうに賢い商人は、良い商品を持っていても、
店頭に並べるようなことはしない、奥深くしまっておくものだ。
そなたは自分の能力をひけらかし、欲望やヤル気を表に出しすぎる。
そんなことは無益のことじゃ。やめなさるがよい。」 と。
すばらしい能力に恵まれても、 それをわざとらしく見せびらかしたり、
ひけらかしたりすれば、 周囲の反発を買って、ろくな結果にならない。
真に有能な人間(君子)ほど慎み深く、
一見愚か者かと思うような顔つきをしている 。
能力は奥深くしまっておくことによって、
かえって人間としての深い味わいが出てくる、と諭す。
「良賈は深く蔵して虚しきが若し」とは、
それを語った言葉に他ならない。
孔子は自らの思想を国政の場で実践することを望んだが、
ほとんどその機会に恵まれなかった。孔子の唱える、
体制への批判を主とする意見は、
支配者が交代する度に聞き入れられなくなり、
晩年はその都度失望して支配者の元を去ることを繰り返した。
それどころか、孔子の思想通りに生きた最愛の弟子の顔回は
赤貧を貫いて死に、理解者である弟子の子路は
謀反の際に主君を守って惨殺され、
すっかり失望した孔子は不遇の末路を迎えている。
この老子の言葉から思うが、
老子は孔子の行くすえが見えていたのかもしれない。
老子 第七十一章に「知りて知らずとするは上なり」とある。
知っていても知ったかぶりをしない。これが望ましいが、
知らないのに知ったかぶりをする。
それは人間の大きな欠点であると老子は云う。たしかに、
知りもしないのに知ったかぶりをするようでは、話にならない。
問題は、知ったあと、どうするかだ。
そんなこと百も承知しているとばかり、したり顔でまくしたてる。
これではかえって周囲の反感を買ってしまう。
*良賈:よい商人のこと
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。