蝸牛角上の争い|中国古典 名言に学ぶ

蝸牛角上の争い50,96

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第一章


蝸牛角上かぎゅうかくじょうあらそ

ー蝸牛角上之争ー    荘子 則陽篇
(荘子:三十三篇。戦国中期の道家荘周とその一門の思想を記したもの。荘周の撰。外・内・雑編から成り、内編七編以外の大部分は、後人の仮託になるものといわれている。「南華新経」ともいう。)

中唐を代表する詩人、白居易(白楽天)からの出典である。

{原文}
対酒、   
蝸牛角上争何事。
石火光中寄此身、
随富随貧且歓楽。
不開口笑是癡人。

{書き下し文}
酒に対す、   
蝸牛かぎゅう角上かくじょう何事なにごとをかあらそふ。
石火せきか光中こうちゅうの身を寄す、
とみしたがひんしたがしばらく歓楽かんらくせよ。
口を開いて笑はざるは癡人ちじん

癡人ちじん:おろかな人。ばかな人。

{口語訳}
酒に対す
かたつむりの角のような小さなせまい場所で、
(人々は)いったい何を争っているのか。
(人生は)火打ち石から飛び出す火花のような一瞬の人生に、
この身を寄せているのである。
(そうと解かれば)貧富それぞれ分相応に、
ともかくよろこび楽しんで過ごすべきである。

(事に悩んで)大口をあけて笑うこともしないのは、まったく愚かである。

蝸牛角上の争い50,96

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{意解}

昔、戴晋人たいしんじんという賢者が魏国の恵王けいおう斉国せいこくを侵略しようとしたおり、
カタツムリにたとえて、いさめた語り。

「王にはカタツムリというものをご存知でしょうか」「そのカタツムリの左の角には触氏しょくしという者の国があり、右の角には蛮氏ばんしという者の国があって、絶えず領土争いを繰り返しておりました。あるときなどは、激戦十五日にわたり、双方の死者数万を出すに及んで、
ようやく兵を引いたほどだと申します。この地上の争いも、みなこのたぐいではありませぬか」

広い宇宙を思うとき、人の争いは「蝸牛角上の争い」と同じものかもしれない。
ああでもないこうでもないと争っても、小さな地球上での小さな事柄にすぎない。この話を思い出せば、今の自分の争い事、悩み事を客観的に視れ、より良い判断が導き出せるかもしれない。

貞観政要 卷二 論求諫 貞觀十七年に「諍臣は必ずその漸を諫む」とある。「諍臣そうしん」とは、トップに過失があったとき、敢然としていさめる臣下を云う。しかし、そういう諍臣でも、諌めるときは、「ぜん」すなわちきざしの段階で諌めるのだという。なぜなら、末期症状をていするようになっては、どんなに諌めても、もはや手遅れだからである。

荀子 大略篇 第二十七にも「国のまさに興らんとするや、必ず師を貴びて傳を重んず」ともある。「」と「」を合わせて「師傅しふ」という。尊敬するに足る相談相手、補導役である。国を興すようなトップには必ずそういう相手がついていたというのだ。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。

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