第一章 大きく生きる
窮もまた楽しみ、通もまた楽しむ
ー窮亦楽、通亦楽ー 莊子 譲王篇
【荘子:三十三篇。戦国中期の道家荘周とその一門の思想を記したもの。荘周の撰。外・内・雑編から成り、内編七編以外の大部分は、後人の仮託になるものといわれている。「南華新経」ともいう】
原文:
古之得道者、
窮亦楽、通亦楽。
所楽非窮通也。
書き下し文:
古の道を得る者は、
窮もまた楽しみ、通もまた楽しむ。
楽しむ所は窮通にあらざるなり。
意解:
「窮」とは、逆境。「通」とは、順境である。だから、この言葉は、
「昔の有道者は、逆境にあろうと順境にあろうと、
そんなことにはとらわれないで人生を楽しんだ。
楽しみというのは、逆境だから楽しめない、
順境だから楽しめるというものではない」となる。
人生は楽しむためにある。楽しみなくて、なんの人生ぞや-
これが中国流である。
こういう生活哲学は、道家からきているのかもしれない。
その楽しみであるが、ふつう、経済的に余裕があれば楽しめるし、
余裕がなかったら思うように楽しめないと思われている。だが、
『荘子』に言わせれば、人生の達人というのは、どんな境遇にあっても、
あるがままの人生を楽しんでいるのだという。
私達の場合は、なかなかそんな具合にはいかない。
順境のときは颯爽と肩で風を切るが、
いったん逆境に陥るとがっくりと肩を落とす。
これでは、人生を楽しむ境地からほど遠いと言わざるをえない。
荘子 養生主篇第三の六に
「時に安んじて順に処れば、哀楽入る能わず」とある。
流れに逆らわない、 自然な生き方を擁護する考え方である。
時のめぐり合わせに身をまかせ、自然の流れに従って生きるなら、
悲しみにも喜びにも心をかき乱されることはない、
昔はこのような境地に立ち得た人間を、絶対の自由者
「天帝の縛めから解放された人間 」と呼んだものだ。と言っている。
努力、精進は勿論必要だが・・・充実した人生を考えるときに
この「荘子」の 思考の必要性も大きく感じる。
参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。