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三人行えば、必ず我が師あり|三人行、必有我師焉|論語 述而篇|

三人行えば、必ず我が師あり 第二章 自己を高める
三人行えば、必ず我が師あり

 

第二章 自己を高める

 


三人行さんにんおこなえば、かならあり

ー三人行、必有我師焉ー   論語 述而篇
(論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。儒家の聖典とされている。四書の一つ。)




{原文}

子曰、
三人行、
必有我師焉、
択其善者而従之、
其不善者而改之。




{書き下し文}

子曰く、
三人行さんにんおこなえば、
かなら師有しあり。
そのき者をえらびてすなわちこれにしたがい、
その不善ふぜんなる者にしてすなわちこれをあらたむ。

三人行えば、必ず我が師あり

三人行えば、必ず我が師あり




{意解}

孔子はこの「三人行さんにんおこなえば、かなら師有しあり。」に、さらに
「その善なる者をえらびてこれに従い、 その不善なる者にしてこれを改む」
と加えている。

優れた人物からは、積極的に学べるし、
劣る人物は自分に反省の材料を与えてくれる という。

よって、この一文は 「かりに何人かで一緒に仕事をするとしよう。
私にとって、彼らはみな先生だ」 とかいせる。  

 前記したように 孔子は貧しい家庭に育ち、
早くより働いて家計を助け 、生活の苦労の中で育った人物である。  

その状況の中で 学問で身を立てることを決意する。
貧しいゆえに 家庭教師や塾に学ぶことはできない。が

孔子は周囲の人々を先生とみなし、
見聞きする事、すべて 勉強の教科書とした。  
孔子も又 「他山の石、以って玉をみがくべし」 と、
自分を磨いたんですね。

「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。