人生は白駒の隙を過ぐるが如し|人生如白駒過隙|荘子 知北遊篇|

第一章 大きく生きる
人生は白駒の隙を過ぐるが如し
ー人生如白駒過隙ー 荘子 知北遊篇
{荘子:三十三篇。戦国中期の道家荘周とその一門の思想を記したもの。荘周の撰。外・内・雑編から成り、内編七編以外の大部分は、後人の仮託になるものといわれている。『老子』の思想を継承し、道家思想を発展させたもので、内篇の中の逍遥遊・斉物論の二篇が最も重要である。「南華新経」ともいう}
{原文}
人生天地之間、
若白駒之過郤、
忽然而已。
{書き下し文}
人の天地の間に生くるは、
白駒の郤(げき=隙)を過ぐるが若く、
忽然たるのみ。

{意解}
この一文は『荘子』(知北遊篇)の下記文章が出典になっている。
人生天地之間、
若白駒之過郤、
忽然而已
人生の短いことを語った言葉である。
人が天地の間に生きているのは、
ちようど白馬が走り去るのを
戸の隙間からのぞき見るようなもので、
ほんの一瞬のことに過ぎない、という意味である。
自分の短い人生、どうすごすか!
「天地は永遠であるが、人生は二度と戻らない。人の人生はせいぜい百年、
あっという間に過ぎ去ってしまう。幸いこの世に生まれたからには、
楽しく生きたいと願うばかりでなく、無駄に過ごすことへの
恐れをもたなければならない」と(菜根譚)は語る。
楽しみのない、振り返って何もない人生では、
生まれてきた意義がないのでは!
有意義に、かつ楽しく!
生まれて、死ぬまでの間の自分のドラマを作り上げ、
「我が人生に悔いなし」こんな言葉を
笑いながら言える人生にしたいものですね。
漢書 蘇武伝にも「人生は朝露の如し」ともある。
これも人生は儚く短いことを嘆いたことばである。
同じように「三国志|曹操の短歌行」にも短い人生、
もっと楽な生き方をしてはどうかとすすめている。
織田信長が好んで舞った「敦盛」に人の五十年は
天界の下天の内の最下の四大王衆天でも一日にしかあたらない。
夢幻のようなものだと謳っている。
この一節は天界を比較対象とすることで
人の世の時の流れの儚さについて説明している。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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