第二章 自己を高める
井蛙は以て海を語るべからざるは、虚に拘ればなり
ー井蛙不可以語於海者、拘於虚也ー 莊子 秋水
【荘子:三十三篇。戦国中期の道家荘周とその一門の思想を記したもの。荘周の撰。外・内・雑編から成り、内編七編以外の大部分は、後人の仮託になるものといわれている。『老子』の思想を継承し、道家思想を発展させたもので、内篇の中の逍遥遊・斉物論の二篇が最も重要である。「南華新経」ともいう】
原文:
北海若曰、
井蛙不可以語於海者、拘於虚也。
夏蟲不可以語於冰者、篤於時也。
曲士不可以語於道者、束於教也。
今爾出於崖涘、觀於大海、乃知爾醜。
爾將可與語大理矣。
書き下し文:
北海若曰わく、
井蛙は以て海を語るべからざるは、虚に拘ればなり。
夏虫は以て氷を語るべからざるは、時に篤ければなり。
曲士は以て道を語るべからざるは、教えに束ねらるればなり。
今爾崖涘より出で、大海を観、乃ち爾の醜を知る。
爾将に与に大理を語るべからんとす。
意解:
北海若(北海の神)はこう応えた、
井戸の中の蛙に海の話しをしても分からないのは、
狭い自分の世界に拘っているからだ。
夏の虫に氷の話をしても分からないのは、
自分の生きる季節しか知ろうとしないからだ。
視野・見識の狭い者に道理を説いても分からないのは、
ありきたりの教えに縛られているからだ。
今、爾は狭い川の岸を出て、大きな海を観て、
爾自身の愚かさを知った。
今将に爾と共に大いなる叡智について語り合うことができる。
自己を知り、謙虚に教えを請う心が、自己を高める方法であろう。
論語 公冶長 十四に「下問を恥ず」とある。
誰でも知らないことは有る、当たり前のこと。こだわりは早めに捨て、
切り替えることが、より悔いの少ない人生に近づけるように思う。
誰にでも聞ける心が、弱みでなく・・・強みになる。
*参考資料:WEB漢文大系をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。