家に賢妻あれば丈夫は横事に遭わず|家有賢妻、丈夫不遭横事|通俗編

第三章 社会を考える
家に賢妻あれば、丈夫は横事に遭わず
ー家有賢妻、丈夫不遭横事ー 通俗編
(通俗編:三十八巻。清の擢項の撰。日常使っている語を集めて分類し、
その出処を明示したもの。天文・地理・時序以下三十六類に分けている。)
{原文}
家有賢妻、
丈夫不遭横事。
{書き下し文}
家に賢妻あれば、
丈夫は横事に遭わず。

{意解}
「丈夫」は夫。「横事」とは、思いげけない事故、アクシデント、
さらには悪事に巻き込まれたりすることも含まれている。
家に賢妻がいれば、なぜそういう目に会わないで済むのか。
まず第一に安心感が大きく作用するのかもしれない。
もし、悪妻が家に居座っていて、
留守中何をやらかすか わからないといった状態では、
外へ出てもオチオチ仕事に打ち込めないであろう。
それほどでもなく、頭のどこかに不安感が残っている状態でも、
ミスにつながる可能性がある。
また、家に帰って、愚痴や不満ばかり聞かされていたのでは、
これまた仕事に立ち向かう姿勢に影響してくるに違いない。
公金横領とか贈収賄事件に巻き込まれたりするのも、
家に賢妻がいれば、かなりな程度防げるのではないか。
男を生かすも殺すも女房次第といった面があるのだが、最近は、
「賢い妻」という響きをあまり聞かないのは・・・残念である。
私考:
現在の私たちの周りを見回してみると、 「草食男子」と、
いかにも家族どころか自分も守れないイメージの流行語が流行り、
程度の差こそあるが、女性に少なからず依存して
生きている男性像が顕著に見て取れる。
こういった時代に、「良妻賢母」的な一文を持ち出す事が、
おこがましくも思えるのだが・・・こちらの方がもっと残念である。
後漢書 宗弘伝にも「糟糠の妻は堂より下さず」とある。
貧賤な身のときに知った友を忘れてはならず、
貧乏のときから辛苦を共にしてきた妻は、
成功を収めて富貴の地位に至ったとしても
大切にするべきであるということ。
人としての在り方、清らかさ、誠実さを例えた言葉である。
(糟糠は、酒かすと米ぬかのことで粗末な食物の喩え)
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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