恒産なければ因って恒心なし|無興産、因無恒心|孟子 梁惠王章句|

第四章 着実に生きる
恒産なければ因って恒心なし
ー無興産、因無恒心ー 孟子 梁惠王章句上七
(孟子:七編。戦国中期の儒家孟可の言行や学説を編集したもの。性善説や王道論は有名。四書の一つ。)
{原文}
無恒産而有恒心者、惟士為能。
若民、則無恒産、因無恒心。
苟無恒心、放辟邪侈、無不為巳。
及陥於罪、然後従而刑之、是罔民也。
焉有仁人在位、罔民而可為也。
{書き下し文}
恒産無くして恒心有る者は、ただ士のみ能くすと為す。
民のごときは則ち恒産無ければ、因りて恒心なし。
いやしくも恒心なければ、放辟邪侈、為さざる無し。
罪に陥るに及びて、然る後従いてこれを刑するは、
是れ民を罔するなり。
いずくんぞ仁人位に在る有りて、民を罔して
為すべけんや。
*放辟邪侈:思うまま好き勝手に悪事を働くこと

{意解}
収入がなくても道徳心があるものは、学問修業をしたものだけである。
一般人の国民は一定の収入がなければ、変わらぬ道徳心をもつことができない。
安定した道徳心がなければ、
好き勝手、邪推をしたり、よく考えもせずに罪を犯してしまうだろう。
犯罪をする要因を知っていながら、犯罪を成した後に処罰するなどというのは、
民を罠にかけてだますようなものである。仁の道をとる人が君主であるならば、
どうして人民をないがしろにして国を治めることができようか。
恒産などなくても恒心を持ち続けるのが理想である。
だがそれは志操堅固な人物(士)にして初めて可能なことだ。
一般の人々にそれを期待しても無理である。
だから一般の人々に対しては、何をおいても
まず生活の安定を図ってやらなければならない。
それが為政者のつとめであると「孟子」は主張する。
たしかに、恒産なくして恒心を持ち続けることは、難しい。
恒心を持ち続けるためには、その前提として、
しっかりした生活設計が必要になるということだ。
礼記に「苛政は虎よりも猛し」ともある。
悪い政治(重税や厳しい刑罰をおこなう政治)は
人を食う虎よりも恐ろしいと云っている。
恒心を持ち続けるためにも、国民の生活を第一に
考えてくれる為政者が必要と云うことだろう。
*志操堅固:かたい意志をもち、なにものにも動かされないこと。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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