病、膏肓に入る|疾、在肓之上、膏之下|春秋左氏伝 成公十年|

第四章 着実に生きる
病、膏肓に入る
ー疾、在肓之上、膏之下ー 春秋左氏伝 成公十年
(左伝:三十巻。「春秋左氏伝」の略。魯の左丘明の撰と伝えられている。
「春秋」の注釈書で「左氏伝」ともいう。十三経の一つ。)
{原文}
公疾病。求醫于秦。
秦伯使醫緩爲之。
未至。公夢。
疾爲二竪子曰、彼良醫也。
懼傷我。焉逃之。
其一曰、 居肓之上、
膏之下、若我何。
醫至。曰、疾不可爲也。
在肓之上、膏之下。
攻之不可。達之不及。
藥不至焉。不可爲也。
公曰、良醫也。
厚爲之禮而歸之。
{書き下し文}
公疾病なり。医を秦に求む。
秦伯医の緩をして之を為さしむ。
未だ至らず。公夢みる。
疾、二竪子と為りて曰く、彼は良医なり。
懼らくは我を傷つけん。焉にか之を逃れん、と。
其の一曰く、肓の上、
膏の下に居らば、我を若何せん、と。
医至る。曰く、疾は為む可からず。
肓の上、膏の下に在り。
之を攻むるも可ならず。之を達せんとするも及ばず。
薬は至らず。為む可からず。
公曰く、良医なり、と。
厚く之が礼を為して之を帰す。
備考:
{「膏」は心臓の下部、「肓」は隔膜の上部}
1 からだの奥深いところ。
ここに病気が入ると治らないという。
2 漢方の経穴の一。
背中の第4胸椎下から、大人で約6センチの所。

{意解}
むかし、晋の景公が重い病に倒れた時のことである。隣国の秦から
高緩という名医を呼んで診察を仰ぐことにした。その前の晩、景公は夢を見た。
病が二人の童子の姿を借りて、こんな話をしているのである。
「秦から高緩がやってくるそうだ。いよいよ俺たちも危ないな。
一体どこへ逃げたらよいのか」
「肓(横隔膜)の上、膏(心臓の下の薄い膜)の下なら
安全だ。あそこへ逃げ込もう」
さて、翌日高緩がやってきて、さっそく診察にかかった。そして診おわると
「誠に申し上げにくいのですが、病は肓の上、膏の下に入り込んでおります。
ここは鍼も薬も届かぬところ、もはや治療のしようがございません」と語った。
景公は間もなく死んだという。
病気だけではない。どんな仕事でも、 病、膏肓に入らぬうちに、
早めに手を打つ(早期処置)ことを心がけなければならない。
「如何なる難事も容易なことから生じ、如何なる大事も些細なことから始まる」
些細なことだとつい油断して対策を怠れば、やがてそれが大事件となって、
取り返しのつかない事態を招く、と云っている。
韓非子 喻老にも「千丈の堤も螻蟻の穴を以って潰ゆ」とある。
「韓非子」は、医者の治療にたとえて、
「良医というのは初期のうちに病気を発見して治してしまう。
之は病気だけではなく、全ての事にあてはまる。故に、
聖人は、物事を処理する際、早め早めに手を打つのである」と云う。
備考:
春秋左氏伝 『春秋左氏伝』は、孔子の編纂と伝えられる歴史書『春秋』の
代表的な注釈書の1つで、 紀元前700年頃から約250年間の歴史が書かれている。
通称『左伝』、『春秋左伝』、『左氏伝』ともいうことがある。
現存する他の注釈書として『春秋公羊伝』、『春秋穀梁伝』とあわせて
春秋三伝と呼ばれている。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません