
天を怨みず、人を尤めず
第五章
天を怨みず、人を尤めず
ー不怨天、不尤人ー 論語 憲問第十四
(論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。
儒家の聖典とされている。四書の一つ。)
{原文}
子曰、莫我知也夫。
子貢曰、何爲其莫知子也。
子曰、不怨天、不尤人、
下學而上達。知我者其天乎。
{書き下し文}
子日わく、我を知ること莫きかな。
子貢曰わく、何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。
子日わく、天を怨みず、人を尤めず、
下学して上達す。我を知る者は其れ天か。
*下学:初歩的で卑近なことを学ぶこと。
*上達:高遠な道理に通じること。

天を怨みず、人を尤めず
{意解}
孔子の晩年のことであるらしい。
あるとき、「ああ、私を理解してくれる人はいない」と嘆いた。
それを耳にした子貢という弟子が、
「どうしてそんなことを仰るのですか」
とたずねたところ、孔子はこう答えている。
「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。われを知る者はそれ天か」
訳せば、
「なにも天を怨むのでも、人を咎めるのでもない。
私は、日常的なものから高遠な道理まで、
ありとあらゆるものの探求を志してきた。
この私を理解してくれるのは、天だけであろうかと考えたまでだ」
苦しい時や辛い時には、ややもすると自分の責任は棚に上げて、
天を怨み、人を咎めたくなるのが人情の常である。
だが、それをやっていたのでは、
いつまでたっても進歩がないし、心の平安も得られない。
そういう時こそ、孔子のこの言葉を思い出したいものである。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。