遠水は近火を救わず|遠水不救近火也|韓非子 説林|

第六章 成功の心得
遠水は近火を救わず
ー遠水不救近火也ー 韓非子 説林
{韓非子:二十五巻五十五篇。戦国時代の韓非の撰。先秦時代の法家の学を集大成し、それに韓非の考えを加えたもの。はじめ「韓子」と称したが、宋以後、唐の韓愈と区別するため「非」の字を加えたもの。}
{原文}
犁鉏曰、
假人於越而救溺子、
越人雖善遊、子必不生矣。
失火而取水於海、
海水雖多、火必不滅矣。
遠水不救近火也。
今晉與荊雖強、而齊近。
魯患其不救乎。
{書き下し文}
犁鉏曰く、
人を越より仮りて溺子を救わむとせば、
越人と善く遊ぐと雖ども、子は必ず生きざらむ。
火を失して水を海より取らば、
海水多しと雖ども、火は必ず滅へざらむ。
遠水は近火を救わずなり。
今、晋と荊とは強しと雖ども、而も斉は近し。
魯の患い其れ救われざらんか、と。

{意解}
日本ではよく耳にする「遠くの親戚より近くの他人」と同意で、
遠くにあるものは、急場の役に立たないことのたとえである。
(的確な状況判断)
春秋時代、魯国は隣の強国斉より侵略されようとしていた。
そこで魯の王様は息子たちを晋と楚(後に楚国と荊国に分割)に仕えさせ、
いざという時、この両国の援助に期待をかけようとした。
それを見て、犁鉏という重臣がこう語ったという。
犁鉏曰く
「ここに溺れかけている者がいるとします。
越の人間は泳ぎが上手いからと言ってわざわざ助けを求めに行っても、
間に合うはずがありません。
火事が起こったとします。
海の水はいっぱいあるからといって、わざわざ引いてこようとしても、
これまた間に合いません。遠水は近火を救わず、です。
晋、荊はたしかに強国ですが、なにぶん遠方でございますから、
隣国の斉に攻められたときに当てにすることはできません」と。
どんな場合に於いても状況に応じた的確な判断が求められる。
「人を恃む」よりも「自らを恃む」ほうが、安全で、
まともな処世術と言えるかもしれない。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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