衣食足りて礼節を知る|衣食足則知礼節|管子 牧民|

第八章 リーダーの心得
衣食足りて礼節を知る
ー衣食足則知礼節ー 管子 牧民
【菅子:二十四巻。春秋時代の前期、斉の桓公に仕えた宰相管仲とその門下の撰。政治の大本は富民で、立法や布教はそれに次ぐということを説いている】
原文:
凡有地牧民者、
務在四時、守在倉廩。
國多財、則遠者來。
地辟舉、則民留處。
倉廩實、則知禮節。
衣食足、則知榮辱。
書き下し文:
およそ地を有し民を牧する者、
務め四時に在り、守り倉廩に在り。
国に財多ければ、則ち遠き者来たり。
地辟挙すれば、則ち民 留処す。
倉廩実ちて、則ち礼節を知り。
衣食足りて、則ち栄辱を知る。
*倉廩:米ぐらや穀物ぐら

意解:
国を治める者は、いつも務めて食料に気を配らなくてはいけない。
国に財が多ければ遠くから人が集まり、土地が開墾されれば定住してくれる。
食事の心配が無くなれば礼節を知り、衣食が足りると栄辱を知る。
斉の宰相管仲の名言である。
現在は「衣食足りて礼節を知る」このように言われることが多いが、
「管子」にある元の言葉は次のようになっている。
「倉廩実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る」。
米倉がいっぱいになると礼節をわきまえるようになり、
衣食が十分に足りるようになると
栄誉恥辱を知るようになるのだという。
つまりは、生活にゆとりができさえすれば、
道徳意識は自ずから高まると云っている。
管仲は経済政策に力を入れた政治家として知られている。
まずなによりも民生の安定を図ることが先決であり、
国民の生活さえ安定すれば、自ずから道徳意識が高まり、
それにつれて国の基礎も固まる。
こういう考えの上に立って、経済優先の政策を推進した。
二千数百年前の当時にあっては、
極めて先見性に富んだ政治家であったと言ってよい。
孟子 梁惠王章句上七に「恒産なければ因って恒心なし」とある。
恒産などなくても恒心を持ち続けるのが理想である。
だがそれは志操堅固な人物(士)にして初めて可能なことだ。
一般の人々にそれを期待しても無理である。
だから一般の人々に対しては、何をおいてもまず
生活の安定を図ってやらなければならない。
それが為政者のつとめであると「孟子」は主張している。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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