飽食終日、心を用うる所なきは、難きかな|中国古典 名言に学ぶ

飽食終日、心を用うる所なきは、難きかな

飽食終日、心を用うる所なきは、難きかな

第二章

飽食終日ほうしょくしゅうじつこころもちうるところなきは、かたきかな

ー飽食終日、無所用心、難矣哉ー  論語 陽貨第十七
【論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。
儒家の聖典とされている。四書の一つ】

原文:
子曰、
飽食終日、
無所用心、難矣哉。
不有博奕者乎。
爲之猶賢乎已。

書き下し文:
子曰く、
飽食終日ほうしょくしゅうじつ
こころもちうるところなきは、かたきかな。
博奕ばくえきなる者有らずや。
これすはなおむにまされり。

飽食終日、心を用うる所なきは、難きかな

飽食終日、心を用うる所なきは、難きかな

意解:
「飲んで食べてゴロゴロして、さっぱり頭を使わない連中は、まったく困ったものだ」
孔子はこう語ったあとで、さらに、つぎの一句を付け加えている。
博奕ばくえきなるものあらずや、これをなすはなおむにまされリ」

「博奕」というのは、広い意味のバクチである。現代で言えば、マージャン、パチンコ、競馬、競艇といったところかもしれない。何もしないでゴロゴロしているよりは、そんなことでもやっている方が、まだマシだ、というのである。

たとえそれが何であれ、やる気を出し、頭を使っていれば、そこに人間としての成長があり、進歩がある。ゴロゴロしてやる気のない人間には、成長も進歩もない。孔子の言いたかったのは、これだろう。

孔子という人は、なんとなく硬苦しい人物のように思われているが、「博奕ばくえき」などを引き合いに出してくるあたり、意外にさばけた一面を持っていたと思われる。

古文真宝に「謂うこと勿れ、今日学ばずして来日ありと」とある。学ぶことに遅すぎるという事はない。「勉強」は学生時代だけの専売特許ではない。若き日のバイタリティーを思い出し、「荘にして学べば老いておとろえず、老いて学べば死してちず」(佐藤一斎)だ。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。

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