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心を観じ道を証するは、此の三者に如くは無し|菜根譚 前集 87項

心を観じ道を証するは、此の三者に如くは無し 第二章 自己を高める
心を観じ道を証するは、此の三者に如くは無し

 

第二章 自己を高める

 

こころかんみちしょうするは、三者さんしゃくは

ー観心証道、無如此三者ー  菜根譚 前集 87項
【菜根譚:明の洪自誠編。前集222条では人との交わり、事治、対応の道を説き、後集135条では退静閑居の楽しみを論じている】




原文:

静中念慮澄徹、見心之真体。
閑中気象従容、識心之真機。
淡中意趣冲夷、得心之真味。
観心証道、無如此三者。




書き下し文:

静中せいちゅう念慮澄徹ねんりょちょうてつなれば、こころ真体しんたいる。
閑中かんちゅう気象従容きしょうしょうようなれば、こころ真機しんきる。
淡中たんちゅう意趣冲夷いしゅちゅういなれば、こころ真味しんみ
こころかんみちしょうするは、三者さんしゃくはし。

心を観じ道を証するは、此の三者に如くは無し

心を観じ道を証するは、此の三者に如くは無し




  意解:

静かな環境で思考が透徹しているときには、
心の本来の姿が見えてくる。
のんびりした環境で気持ちが落ち着いているときには、
心の働きが見えてくる。
淡々たる心境で感情が平静なときには、
心の働く方向が見えてくる。

自分の心を認識し、真の道を会得するには、
この三つの方法によるのが、もっともよいと言っている。

一、静中:心の本来の姿が見えてくる
一、閑中:心の働きが見えてくる
一、淡中:心の働く方向が見えてくる

バタバタ動き回ってばかりいると、自分を見失いがちである。
時には静かな環境に、身を置いてみるべきであろう。

荘子に「坐忘」がある。
五体から力を抜き去り、一切の感覚をなくし、
身も心も虚ろになりきった状態だという。虚心、無心という境地である。
勝海舟も「氷川清話」に
坐忘ざぼうといって、無になっていれば 自在の判断ができるようになる。
功名をなそうという者には、とても功名はできない。戦いに勝とうという者には、
とても勝ち戦はできない。何ごとをするにも、無我の境に入らなければいけないよ。
機は感ずべきもので、 言ふことの出来ず、伝達することの出来んものです。
機会は自分のアンテナを高くして感じ取るモノ!!」と語っている。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。