他山の石、以って玉を攻くべし|他山之石、可以攻玉|詩経 小雅|
第二章 自己を高める
他山の石、以って玉を攻くべし
ー他山之石、可以攻玉ー 詩経 小雅 鶴鳴
(詩経:中国最古の詩集。周初から春秋時代中ごろまでの詩を集めている。
現存するものは三百五篇。五経の一つで、初めは単に「詩」といったが、
宋代以降「詩経」と呼ばれるようになった。)
{原文}
他山之石、
可以攻玉。
{書き下し文}
他山の石、
以って玉を攻くべし。
*攻く:磨き加工するの意
{意解}
他の山から出た石ころでも、こちらの玉を磨く材料とすることができる。
つまらぬ他人の言動でも、 自分を鍛える助けとして
活用することができるということである。
わかりやすく言えば、「人のふり見て、我がふり直せ」である。
自分自身を鍛えることは 老若男女、望まれることであるが、とくに、
上に立つ人物には 不可欠な条件である。では、自分を鍛えるには、
どうすればよいか。まず考えられるのは、心に思う人物を目標として、
彼のレベルを目指して努力することである。
取るに足らない人物も 身の回りにも大勢いるはずだから、
彼らを反面教師として価値を見いだせる。
そうならないように努めることに 自分の意識を変えれば、
周りには多くの自分を高めるに値する人物はいる。
ものは考えよう、それが「他山の石」にほかならない。
「他山の石」と眺めるだけでなく「以って自分の玉を磨くべし」である。
論語 述而篇にも「三人行えば、必ず我が師あり」とある。
優れた人物からは、積極的に学べるし、劣る人物は
自分に反省の材料を与えてくれる、と云う。
よって、この一文は 「仮に何人かで一緒に仕事をするとしよう。
私にとって、彼らは皆先生だ」 と解せる。
参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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