過ちて改めざる、これを過ちと謂う|過而不改、是謂過矣|論語|

第二章 自己を高める
過ちて改めざる、これを過ちと謂う
ー過而不改、是謂過矣ー 論語 衛霊公 第十五 30
(論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。儒家の聖典とされている。四書の一つ)
{原文}
子曰、
過而不改、
是謂過矣。
{書き下し文}
子曰く、
過ちて改めざる、
これを過ちと謂う。

{意解}
孔子は「論語 学而 第一 8」で
原文:過則勿憚改
書き下し文:過ちては則ち改むるに憚ること勿かれ
とも言っている。
人は誰しも間違いを犯すことがある。
自分の軽率な行為、無知、自分が犯した過ちを
過ちと認めるのは、人間誰だって嫌である。
ついつい言い訳を探してしまったことや、
口を拭って知らぬ顔をしたり、 居直ったりしがちである。
そしてまたそれを後悔したりするのである。
過ちを過ちとして認めることから
人としての進歩が始まるように思う。
何故、間違えたのか思考し、
同じ間違いを犯さないようにするためにはどうすればいいのか、
その答えを見つけない限り、 人は何度も同じ間違いを繰り返してしまう。
過ちを指摘してくれる人がいてくれるというのは
耳は痛くとも、有り難い事である。
そして、 素直に意見を聞けるタイプが
将来的に伸びる人間のようである。
*「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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