疑を以って疑を決すれば決必ず当たらず|以疑決疑、決必不当|荀子|

第六章 成功の心得
疑を以て疑を決すれば決必ず当たらず
ー以疑決疑、決必不当ー 荀子 解蔽篇第二十一 十章
{荀子:二十巻。戦国時代末期の学者、荀況の書。荀況は孟子に次ぐ大儒。
孟子の性善説に対して、荀況は性悪説を唱えた。}
{原文}
彼愚者之定物、
以疑决疑、
决必不当。
{書き下し文}
彼の愚者の物を定むるは、
疑を以て疑を決す、
決必ず当たらず。

{意解}
あやふやな根拠にもとずき、あやふやな心によって判断を下せば、
必ず見当はずれな結論が導かれるということ。
逆に言えば、正しい決断を下すためには、
先ず第一に十分な情報がなければならない。
情報が様々で信頼できる資料が乏しければ
的確な結論が得られない。しかし、それだけではまだ不十分で、
さらにもう一つ、当事者に確固とした見識が必要なのだという。
「荀子」は言っている。
「物事を観察する時、観察者があれこれ疑い迷っていては、
物事をはっきり見定めることができない。
自分の考えが定まらないのでは、
善悪をきちんと判断することができないのである。」と。
こう語ったあとで、「荀子」はさらに、
「結論が見当はずれである限り、思わしい成果のあがるはずがない。」と
付け加えている。
孫子 第一篇 始計に「算多きは勝ち、算少なきは勝たず」とある。
この一節を、何か事業を始めるときには、確かな計算を立ててかかれと
理解すべきだろう。ましてや、不確かな情報しかなければ、
的確な結論が得られないのは当然ともいえる。
「疑を以て疑を決する」その愚かさは、避けたいものですね。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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