驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば則ちまたこれに及ぶ|荀子

第二章 自己を高める
驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば則ちまたこれに及ぶ
ー驥一日而千里、駑馬十駕、則亦及之矣ー 荀子 脩身
(荀子:二十巻。戦国時代末期の学者、荀況の書。荀況は孟子に次ぐ大儒。孟子の性善説に対して、荀況は性悪説を唱えた。)
{原文}
夫驥一日而千里、
駑馬十駕、
則亦及之矣。
{書き下し文}
夫の驥は一日にして千里なるも、
駑馬も十駕すれば、
則ちまたこれに及ぶ。

{意解}
普段の努力が大切なことを語った言葉である。
「驥」とは、一日に千里を走る名馬 (人間で言えば天才)。
「駑馬」でも、十日も走り続ければ 「驥」の一日の工程に追いつけるという。
人間も然り、天才に比べれば 十分の一くらいの能力しかなくても
続ければ追いつくと説く。
立派な目標を立てても 実行しなければ、絵にかいた餅に等しい。
なんでも、継続することで、 実現の可能性と期待ができるものである。
書経 周官に「功の崇きはこれ志、業の広きはこれ勤」とある。
「志」と「勤」は自転車の両輪にあたると云う。
人生設計においても、同じことが言える。できれば、
一生を通しての目標を掲げたい。少なくとも、
数年の目標は立てたいものである。
あとは「勤」、熱意と努力で継続して
自転車のペダルをこぎ続けるだけである。
とくに、上に立つ者は、継続的努力が求められる。「駑馬」を見習い、
日々の自己啓発(自分自身を鍛える努力) が求められるだろう。
大学では 「苟日新、日日新、又日新」 と語っている。
参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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