過ぎたるは猶及ばざるが如し|過猶不及|言行には中庸を心がけたい
過ぎたるは猶及ばざるが如し
ー過猶不及ー 論語 先進第十一 15
(論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。儒家の聖典とされている。四書の一つ。)
{原文}
子貢問。師與商也孰賢。
子曰。師也過。商也不及。
曰。然則師愈與。
子曰。過猶不及。
{書き下し文}
子貢問う、師と商と孰れか賢れる。
子曰わく、師や過ぎたり。商や及ばず。
曰わく、然らば則ち師愈れるか。
子曰わく、過ぎたるは猶及ばざるがごとし。
*師:子張
{意解}
孔子の弟子に子貢という人物がいた。頭が切れるうえに弁も立ち、
実業家としても立派な成功を収めている。この人は人物評も好んだらしい。
あるとき、若い弟子の子張と子夏をサカナにして、孔子の意見を求めた。
「子張と子夏とでは、どちらがすぐれているでしょうか」
孔子が答えるには、
「子張は度が過ぎている。氏夏は度が足りない」
子張はお先走りの傾向があり、子夏は引っ込み思案な性格であったらしい。
孔子はそれを言ったのである。
子貢が、「では、子張のほうが優れているわけですね」と念を押したところ、
孔子は答えたという。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と。
過ぎてもいけない、足りなくてもいけない。バランスのとれた人間像が理想的だと、
孔子は言っているのである。 何事においても、礼を尽くすことは必要であるが、
度が過ぎると、悪意に受け取られることもある。
「礼も過ぎれば無礼になる」言行には中庸を心がけたいものである。
*中庸:片寄らず中正なこと
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません