知者はこれに過ぎ、愚者は及ばず|知者過之、愚者不及也|中庸|

第二章 自己を高める

知者はこれに過ぎ、愚者は及ばず
知者はこれに過ぎ、愚者は及ばず

 

第二章 自己を高める



知者はこれに過ぎ、愚者は及ばず

ー知者過之、愚者不及也ー   中庸
(中庸:もと「礼記」中の一篇であったが、後に四書の一つに数えられた。孔子の孫の子思の撰と伝えられている。)

{原文}

知者過之、 愚者不及也。

{書き下し文}

知者はこれに過ぎ、 愚者は及ばず。

知者はこれに過ぎ、愚者は及ばず
知者はこれに過ぎ、愚者は及ばず

{意解}

 
「中庸」の美徳を語った言葉である。 「中庸」とは、物の見方も行動も、
一方に偏らないこと、ほどよくバランスがとれている、
「大きく偏らない考えや判断に宿っている徳」という意味である。  
知者も愚者も、方向こそちがえ、共にこの「中庸」に反しがちだという。

 なぜ知者は過ぎるのか。 探究心が旺盛なので、肝心なことはそっちのけで、
つまらぬことをほじくりかえす傾向があるからだという。 これとは逆に、
愚者は理解のレベルが低いので、とかく及ばぬ傾向が強いのだという。ただ、
過不及かふきゅう」のないこと、全体を足して割った 平均値を指しているわけではない。
中庸の「中」は『かたよらないこと』、「庸」は『普通・凡庸ぼんようであること』を意味するが、
儒教の倫理規範の最高概念である中庸ちゅうようには
その場における最善の選択』 という意味も込められている。

孔子の「論語 先進第十一 15」にも

子貢問。師與商也孰賢。 子曰。師也過。商也不及。
曰。然則師愈與。子曰。過猶不及

こうう、しょういずれかまされる。 わく、ぎたり。しょうおよばず。
わく、しからばすなわまされるか。 わく、ぎたるはなおおよばざるがごとし。

過ぎてもいけない、足りなくてもいけない。
バランスのとれた人間像が理想的だと、孔子は言っているのである。  

備考: 中庸 第一章 喜怒哀樂之未發,謂之中;發而皆中節,謂之和。
中也者,天下之大本也;和也者,天下之達道也。致中和,天地位焉,萬物育焉。
喜怒哀樂きどあいらくの未だはつせざるれをちうひ、はつしてせつあたれをと謂ふ。
ちうなる者は、天下てんか大本たいほんなり。なる者は、天下の達道たつだうなり。中和ちうわいたして、天地てんちくらゐし、萬物ばんぶついくす。 ー その場における最善の選択 ー 

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、 より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。