言は行を顧み、行は言を顧む|言顧行、行顧言|中庸 第十三章|
第二章 自己を高める
言は行を顧み、行は言を顧む
ー言顧行、行顧言ー 中庸 第十三章
(中庸:もと「礼記」中の一篇であったが、後に四書の一つに数えられた。孔子の孫の子思の撰と伝えられている。)
{原文}
庸徳之行、庸言之謹、
有所不足、不敢不勉、
有余不敢尽、
言顧行、行顧言。
君子胡不造造爾。
{書き下し文}
庸徳をこれ行い、庸言をこれ謹み、
足らざる所あれば、敢えて勉めずんばあらず。
余りあれば敢えて尽くさず。
言は行を顧み、行は言を顧む。
君子胡ぞ造造爾たらざらん。
*庸徳:平凡な日常の徳
*庸言:日頃の発言
{意解}
君子とは日常的な徳を実践して、日常的な言葉を謹み、
徳に及ばない所があれば、それを補おうとして必ず努力するものである。
言葉が過剰であれば、ブレーキかけ敢えて言い尽くさない、
言葉は自分の行いを振り返ってから話し、行動は自分の言葉を振り返ってから行う。
そのような君子がどうして篤実・誠実ではないなどと言えるだろうか。と訳せる。
*篤実:情があつく誠実なこと
*誠実:まじめで、真心があること
「言は行を顧み」とは 何かを発言するときは、
自分の行動がそれに伴っているかどうかを考える。
そうすれば、発言に慎重さ、且つブレーキもかかるのだという。
「行は言を顧む」は 何か行動を起こすときは 自分の発言を思い出す。
そうすれば、発言に比べて行動不足ではないか等 を反省し
もっと努力するようにもなる。
「言行一致」
言うことと、行うことを一致させることは 非常に難しく、
往々にして、言うことが先走って 日頃の行動が伴っていない事を多々感じる。
親が子に、あれはダメ、こうしなさい、 と口うるさく言う姿を目にする。が
「じゃ、お母さん(お父さん)はどうなの!?」 と切り返された時に、
一言もないようでは説得力がない。
人は誰でも、言行一致であることが望ましい。
そのために「言は行を顧む」が必要なのだろう。
語論 里仁 第四之二十四(訥言敏行)に
「君子は言に訥にして、行いに敏ならんと欲す」とある。
孔子は「有言実行」を望んだが、基本的に雄弁に巧妙な言葉を操る人よりも、
思想や意志を素早く実践する人のほうが、
より君子的であると考えていたようである。雄弁な者は、度が過ぎると、
かえってマイナスに作用する。主張すべき時には大いに発言すべきであるが、
普段は寡黙に徹したほうが良いのかもしれない。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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