第二章 自己を高める
謂うこと勿れ、今日学ばずして来日ありと
ー勿謂、今日不学而有来日ー 古文真宝
(古文真宝:二十巻。宋の黄堅の編。前集・後集からなり、前集には、漢代から宋代までの著名な詩、後集には、戦国末、楚の屈原から宋代までの著名な辞賦、文章を収めた詩文集)
{原文}
勿謂、
今日不学而有来日。
{書き下し文}
謂うこと勿れ、
今日学ばずして来日ありと。
{意解}
「今日やらなくても明日があるさ」という 怠りの心を戒めた言葉である。
宋代の宰相、司馬光が記した「勧学文」の一節である。
誰でも人からうるさくこんなことを言われるのは好まないが、振り返れば、
「あの時、もっと勉強していればよかった!」と・・・
後悔の念、頻りの方も多いのではないだろうか。
学生時代は、友人に触発され、勉学に、遊びに、未知の世界の探検に
熱中した記憶もあるだろう。会話の中で、「謂うことなかれ、来日ありと」と
意識する事も少なからずあったのでは!
社会に出てからは、学んだことを「事上」で 身につけることを忘れがちで、
「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆うし」
「後悔先に立たず」と 自己嫌悪に陥った経験もあるのでは!
学ぶことに遅すぎるという事はない。
「勉強」は学生時代だけの専売特許ではない。
若き日のバイタリティーを思い出し、
「荘にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽ちず」
(佐藤一斎)だ。
仕事に、雑事にかまけていたのでは、
いつまでたっても、とりかかれない。
思い立ったが吉日である。ゆっくりでもいい、
階段を上り続けることが必要だろう。
階下も観えてくるはずだ。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。