人の患は一曲に蔽われて大理に闇きにあり|荀子 解蔽篇|

第二章 自己を高める
人の患は一曲に蔽われて大理に闇きにあり
ー人之患、蔽於一曲而闇於大理ー 荀子 解蔽篇
(荀子:二十巻。戦国時代末期の学者、荀況の書。荀況は孟子に次ぐ大儒。孟子の性善説に対して、荀況は性悪説を唱えた。)
{原文}
人之患、
蔽於一曲
而闇於大理。
{書き下し文}
人の患は
一曲に蔽われて
大理に闇きにあり。

{意解}
物事の一面にとらわれて、 全体を把握できない、 これが人間の欠点である。
と云っている。
「荀子」によれば、 偏見によって心が惑わされるからだという。
「心が惑わされるのは、好悪の感情に左右されるからである。
始終、遠近、広狭の一方にとらわれるからである。
過去、現在の一方にとらわれるからである。どんなことでも、
一面だけにとらわれると、心が惑わされて大局的な判断を失ってしまう」 と。
人には元々、 事実を事実として認めたがらない心理的傾向があり、
すべてのものを自分の持っている基準に 当てはめて考えようとするらしい。
いわば認知構造の歪を本来持っているわけだ。それから免れようとするなら、
自覚的な努力によって、
一、固定概念からの脱却
一、冷静な判断力の養成
一、確かな情報の入手
などに努めなければならないということだろう。
論語 子罕篇 第九に「意なく、必なく、固なく、我なし」とあり、
往々にして私たちは、 自分の利益や名声・立場を守ろうとして、
自分中心の考えにこだわり、 自分の考えを他人に押し付けたり、
それに基づき他人の考えや行動を責めたりしがちである。 と言っている。
自分を顧み、自戒してみることも必要だろう。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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