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険を見て能く止まるは知なるかな|見険而能止、知矣哉|易経 彖辞|

険を見て能く止まるは知なるかな 第四章 着実に生きる
険を見て能く止まるは知なるかな

第四章 着実に生きる

 

けんを見てく止まるはなるかな

ー見険而能止、知矣哉ー  易経 彖辞ー彖伝(蹇卦)
(易経:「易」または「周易」ともいう。五経の一つ。卜筮ぼくぜいの法によって、倫理道徳を説いたもの。上下の「経」と、その注釈篇である。「十翼」からなり、十翼は孔子の編と伝えられている。)




{原文}

彖曰、
蹇、難也、 険在前也、
見険而能止、知矣哉。




{書き下し文}

たんいわく、
けんは、なんなりなやみ前にるに、
けんを見てしこうしてとどまる、なるかな

険を見て能く止まるは知なるかな

険を見て能く止まるは知なるかな




{意解}

蹇卦けんけなん、困難な状況の卦で、陥険かんけんが前方に迫る卦だと言っている。
「険を見て能く止まるは、知なるかな」これは勝負判定に関わる重要な証言になる。

 もちろん、これはえきが言っている証言ですが、
「前方にある危険な状況を見て能く止まることができる。
それは危険な状況だということを知っていたことによる・・・」のであり、
「分かっていたので止まることができた」のである。  

危険を察知したら、進むのを見合わせて立ち止まる、それが智者である。

中国人の言う「知者ちしゃ」とは、単なる物知り人ではない。自らの進退について、
適切な判断を下せるのが「知者」なのだという。 いい加減な状況判断で、
ただ闇雲やみくもに前へ進む、
それを「匹夫ひっぷゆう」と言い、
日本流に言えば、「猪武者いのししむしゃ」である。これをやっていたのでは、
命がいくらあっても足りない。
これでは、とうてい「知者」とは言えないのである。  

では、立ち止まって何をしているのか。危険の去るのを待つのである。
ただ何もしないで待つのではない。十分な準備を整えながら、待つのである。
情勢は常に変化する。 チャンスの時は必ずまた来る。無理をせず、
次のチャンスを待って前進を再開するのである。  

いわんや不確実な現代を生き抜くには、全天候型の人間を目指さすべきである。
全天候型とは、攻めにも強いが守りにも強いということだ。つまり、
攻めるところは攻め、 守るべきところはしっかりと守る。 そのためには、
「匹夫の勇」にはやる猪武者であってはならない。
危険だと見たら踏みとどまるような手堅い生き方を身につけたいところだ。

備考:
この言葉は、「易経」の卦を解説する「彖伝上・下」に書かれているものである。
「彖伝上・下」には、「周易上・下経」それぞれの卦辞かじ注釈ちゅうしゃくが収められている。
易経えききょう」 は、古代中国の占筮せんぜい(細い竹を使用する占い)の書である。

符号ふごうを用いて状態の変遷へんせん、変化の予測を体系化した古典。
中心思想は、陰陽いんよう二つの元素の対立と統合により、 森羅万象しんらばんしょうの変化法則を説く。
古代中国の哲学と宇宙観の集大成であり、 著者は伝説上の人物である伏羲ふっきとされている。

また、「易経」は儒教の基本書籍である五経の筆頭に挙げられる経典でもある。
太古よりの占いの知恵を体系・組織化し、 深遠しんえんな宇宙観にまで昇華しょうかさせている。

今日行われる易占法えきせんほうの原典であるが、古代におけるうらないは
現代にしばしば見られる軽さとは大いにおもむきをことにし、
共同体の存亡に関わる極めて重要かつ真剣な課題の解決法であり、
占師うらないしは政治の舞台で命がけの責任を背負わされることもあった。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。