国士無双|史記|劉邦に仕えた韓信という将軍を評した言葉。
第三章 社会を考える
国士無双
ー国士無双ー 史記
(史記:百三十巻。前漢の司馬遷が撰した、中国最初の通史です。上古の黄帝から、漢の武帝までの歴史を紀伝体で記しています)
{意解}
「国士」は国の中で傑出した人、国を背負って立つような大人物のこと。
「無双」とは二人といない、並ぶものがないこと。
漢の高祖、劉邦に仕えた韓信という将軍を評した言葉である。
韓 信
中国秦末から前漢初期にかけての武将。
劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた。
張良・蕭何と共に漢の三傑の一人。
韓信(国士無双|史記)の故事がある
。
韓信は高祖劉邦に仕えた将軍だが、若い頃は定職にもつかずにぶらぶらしていた。
そんなある日、ふだんから韓信をバカにしていた与太者が因縁をつけてきた。
「おい、でかい図体に剣をぶらさげやがって、格好だけは一人前だが、
肝っ玉のほうはからきしだろう」人だかりがしてくると、与太者は図に乗り、
「おい、度胸があるならおれを刺してみろ。それが怖けりゃ、股をくぐれ」と
挑発する。しかし、韓信は黙って与太者の股をくぐったという。
韓信の能力をもってすれば、そんな与太者の二人や三人、
とりおさえるのはわけもなかったにちがいない。だが、
こんな小事にかかわってもつまらない、大事の前の小事と思い直し、
あえて股をくぐったという。
また、史記 准陰候列伝に「敗軍の将は以て勇を言うべからず」に
韓信の「井陘の戦い」を記載している。
菅子に「天下を争う者は必ず先ず人を争う」とあり、
人はどんなに優れた能力に恵まれても、一人で出来る事には限界がある。
大事を成そうと思えば、どうしても、周りの人々の理解と協力が必要となる。
「人を争う」の一文には、優秀な人材の獲得、人心の獲得の意味がある。
現代社会に於いても然りだろう。
「国士無双」ということばは、
今では麻雀の役として残っている。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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