無用の費えを去るは、聖王の道にして天下の大利なり|中国古典 名言に学ぶ

無用の費えを去るは、聖王の道にして天下の大利なり

無用の費えを去るは、聖王の道にして天下の大利なり

第三章

社会を考える

無用むようついえをるは、聖王せいおうみちにして、天下てんか大利だいりなり

ー去無用之費、聖王之道、天下之大利也ー   墨子 節用
(墨子:十五巻。墨擢とその学派の学説を記したもの。墨擢の撰といわれているが、
その門人の撰であると現在では考えられている。)

{原文}
去無用之費、
聖王之道、
天下之大利也。

{書き下し文}
無用むようついえをるは、
聖王せいおうみちにして、
天下てんか大利だいりなり。

無用の費えを去るは、聖王の道にして天下の大利なり

無用の費えを去るは、聖王の道にして天下の大利なり

{意解}
 

墨子は、兼愛けんあい非攻ひこうを主張した思想家として知られている。
しかし、この人のもう一つの顔は、
節倹せつけんを主張し、無用な出費に反対した点にある。  
それが個人の利益であると同時に、
国の利益にもなり人類の利益にも合致するというのだ。

 そういう意味では、
極めて今日的な思想家であると言ってよいかもしれない。  
墨子だけではなく孔子も、政治の眼目の一つに、
「用を節して人を愛す」(論語)
(財政規模を不当に拡大して人民に負担を強いてはならない)をあげている。

例を引くまでもなく、
財政の無原則な拡大は国を滅ぼす元にもなりかねないのだ。  
節約の必要なことは、個人の家庭でも同じであろう。
一度生活を膨張ぼうちょうさせるとめるのは容易よういでない。
普段から無駄な出費をはぶいて不時の出費にそなえるのが、
まともな生き方というものだろう。  
節倹せつけんの意義は、もっと見直されてもいいように思われる。 

備考:
「墨子」 墨子(生没年不詳、紀元前450~390頃?)は
中国戦国時代の思想家。

墨家の始祖。一切の差別が無い博愛主義(兼愛けんあい)を説いて
全国を遊説した。

いわゆる墨子十大主張を主に説いたことで世に知られている。
墨子と弟子とのやりとりからは、
功利主義的な多くの弟子をさとす墨子の姿。
また、墨子自ら楚に赴いて、宋を攻めようとする楚王を

説き伏せようと 努力することもあったようだ。

このような幾多の墨子の努力の甲斐有って、 思想集団として、

また、兼愛・非攻ひこうの究極の実践形と言える
防御ぼうぎょ守城しゅじょうの技術者集団として、

墨家は儒学と並び称される程の学派となった。

しかし、兼愛・非攻のような非常に理想主義的な
思想を展開する墨子は、

当時勢力の拡大に躍起やっきになっていた諸侯しょこうの考え方とは相容あいいれず、
諸侯からは敬遠けいえんされがちであったようである。

* 兼愛
「天下の利益」は平等思想から生まれ、
「天下の損害」は差別から起こるという思想。
全ての人に平等な愛をということである。
* 非攻
一言で言えば、非戦論である。 墨子直著と見られ、
「人一人を殺せば死刑なのに、なぜ百万人を殺した将軍が勲章をもらうのか」
と疑問を投げかけている。

著書
『墨子』(53篇現存)
断想集 。
「十論」ー 墨子の主要論考。
「墨弁」ー 墨子の哲学、幾何学等を記した論文集。
言行録ー説話集。 
城(すなわち市街地)を守る為の詳細かつ具体的な技術論集。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。

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