子を養いて教えざるは父の過ちなり|養子不教父之過|古文真宝|

第三章 社会を考える

子を養いて教えざるは父の過ちなり
子を養いて教えざるは父の過ちなり

第三章 社会を考える

 

子をやしないて教えざるは父のあやまちなり

ー養子不教父之過ー    古文真宝 勧学文
(古文真宝:二十巻。宋の黄堅の編。前集・後集からなり、前集には、漢代から宋代までの著名な詩、後集には、戦国末、楚の屈原から宋代までの著名な辞賦、文章を収めた詩文集。)

宋代の宰相・司馬光しばこうが記した「勧学の歌」の前段である。




{原文}

養子不教父之過
訓導不嚴師之惰
父教師嚴兩無外
學問無成子之罪
煖衣飽食居人倫
視我笑談如土塊
攀高不及下品流
稍遇賢才無興對
勉後生 力求誨
投明師 莫自昧
一朝雲路果然登
姓名亜等呼先輩
室中若未結親姻
自有佳人求匹配
勉旃汝等各早修
莫待老來徒自悔     




{書き下し文}

子をやしないて教えざるは父のあやまちなり
訓導くんどうげんならざるは師のおこたりなり
父教え師げんなることふたつながらほか無けれども
学問ること無きは子の罪なり
煖衣飽食だんいほうしょくして人倫じんりん
われ笑談しょうだんすること土塊どかいごとくす
たかきにじんとしておよばず下品かひんなが
やや賢才けんさいえばともこたうる無し
つとめよ後生こうせい つとめておしえを求めよ
明師めいしとうじて みずかくらますことなかれ 
一朝雲路いっちょううんろ果然かぜんとしてのぼらば
姓名せいめいいて等しく先輩せんぱいと呼ばれん
室中しつちゅういま親姻しんいんを結ばずんば
おのずか佳人かじん匹配ひつはいを求むる有らん
これつとめよ汝等なんじらおのおの早く修めよ
おいきたるを待っていたずらにみずかゆることなか

勧学文
勧学文




{意解}

 
子供を生んでもしつけをちゃんとしなければ父親のあやまちである。  
教え導くのにきびしくしないのは師のおこたりである。
父は教え、師は厳しく、両者ともに一意専心いちいせんしん、不足をいう余地もないのに、
学問が成就じょうじゅしないのは、勉強しない子の罪である。
そのような無学な人間は、暖かい衣服を着、腹いっぱいものを食べて、
人並みの顔をして仲間に入り、 賢者を見ても平気で、
あたかも土くれなどを見るように笑ったり、話したりするのである。
つまりは偉くなろうとしてもなれず、下等な人間の仲間に入り、
少し優れた人に遇うと
もはや相手になって対応することもできなくなってしまうのである。

勉強をしなさい。若者よ。努めて師の教えを受けなさい。
立派な先生のところに身を寄せて学び、
決して自らの本性をくらましてはいけないのだ。
一旦文官試験に主席で合格すれば、
名声は上がり、先輩に次いで世間からもてはやされ、
もし結婚がだであったら、
良家の美人が自然に配偶として求めてくるであろう。
そこで君らに勧めるが、各々早く学問を修めるがよい。
年をとってから無益むえき後悔こうかいすることのないように。  

 司馬光は典型的な真面目な人物であったが、
語っている内容には、大いに同調できる面もある。

 現在の日本では、「教育ママ」という言葉は聞いても
「教育パパ」とはあまり聞かない。子供のしつけや教育は、
もっぱら母親の手に任され、
父親はこの領域から手を引いてしまった形である。
これが健全な姿だとは思いにくい。一般的ではあるが、
父親は母親よりも広い視野をもっている。 そういう立場から、
もっと子供の教育に介入しても良いのではないかと思われる。
「訓導して厳ならざるは師の惰りなり」も、
現代の弊害を鋭くいているように思われる。

朱子家訓!もある。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。