徳は孤ならず、必ず隣あり|徳不孤、必有隣|論語 里仁第四 二十五

第五章 逆境を乗り越えるための心得

徳は孤ならず、必ず隣あり
徳は孤ならず、必ず隣あり

第五章 逆境を乗り越えるための心得

 

とくならず、かならとなりあり

ー徳不孤、必有隣ー     論語 里仁第四 二十五
(論語:孔子と彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した書物である。「孟子」「大学」「中庸」と併せて儒教における「四書」の1つに数えられる。512の短文が全20編で構成されている)

{原文}

子曰、
徳不孤、必有隣。

{書き下し文}

子曰く、
とくならず、かならとなりあり。

徳は孤ならず、必ず隣あり
徳は孤ならず、必ず隣あり


{意解}

「徳とは、孤立した孤独なものでは無く、それを認めてくれる人が、
きっと周囲にあらわれる。」

:思いやりの心
:人道に従うこと
:人のふみ行うべき道。社会生活上の定まった形式
:理解し判断する力
:嘘がないことで得られる信頼
:敬愛の念
:年長者を敬う
:主君に尽くす

 人はおうおうにして、自ら学び得たことや、技量が世間にかえりみられず、
認められないことは耐え難いことである。それゆえ己の主義主張や心操を曲げて、
世間に妥協し世間に迎合してしまいがちになることも少なくない。

 しかし、意志堅固に道を求め続け、学において究め続けていれば、
身に光は備わりおのずから理解者は現れ、支持する人も出てくるものと信じる。

 ━━━━!!これは孔子の確信であったに違いない。

 しかし、孔子その人の生涯は、普通の人間から見れば、
決して恵まれたものではなかった。若い時、政治に志を立てたが、
政治に参画したのは五十歳を超えてから。だが、わずか四年で失脚、
それからの十四年間は諸国を歴訪して自ら理想とする政治の実現を図ったが、
ことごとく徒労に終わっている。孔子の人生には、孤立の影が色濃く漂っている。
しかし、そんな孔子が「徳は孤ならず、必ず隣あり」と言うこの言葉は
現実の指摘ではなく、悲願の告白であったと解するのが妥当かも知れません。

 徳不孤、必有隣
「徳とは、孤立した孤独なものでは無く、それを認めてくれる人が、
きっと周囲にあらわれる」

菜根譚 後集76に「伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高し」ともある。
ピンチの時こそチャンスだという。
逆境の時こそ、知力、体力を養う好機である。
焦らず騒がずじっくりと力を蓄えながら、
「伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高し」と、
自分を信じ、
静かに追い風の時を、待ちたい。

徳(ウィキペディア)
 *儒教的徳
儒教的徳は人間の道徳的卓越性を表し、
具体的には仁・義・礼・智・信の五徳や孝・悌・忠の実践として表される。
儒教思想において重要な規範的価値は、生まれによってではなく
その人の徳の現れた実際の量の結果によって
社会的地位が決せらるべきであるということである。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。