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親を敬する者はあえて人を慢らず|敬親者不慢於人|孝経 天子章第二

親を敬する者はあえて人を慢らず

親を敬する者はあえて人を慢らず

第二章 自己を高める

 


おやけいするものえてひとあなどらず

ー敬親者不慢於人ー   孝経 天子章第二
(考経:一巻。十三経の一つ。曾参の門人が、孔子と曾参との
孝道に関する問答を筆記したものと伝えられている。)

{原文}

子曰、
愛親者不敢惡於人、
敬親者不敢慢於人。

{書き下し文}

子曰く、
親をあいする者は、えて人をにくまず、
親をけいする者は、えて人をあなどらず。

親を敬する者はあえて人を慢らず

親を敬する者はあえて人を慢らず




{意解}

現代においては、 身につけにくい一文に思える。 親、それは子に対して
無償の愛情を注ぎたとえ子が親の意に沿わない成長を遂げようとも、
唯一、味方的存在で有り続けるのである。

本心から、共に喜んでくれ、 共に悲しんでくれ、
共に痛みを感じてくれる 存在である。  

 子は親の愛情を空気のように、当然のように、感じず、思わず、敬せず 。
子が親の立場に立った時に自分が親に注がれてきた無償の愛情に気づく。  

 親の無償の愛情を 心から感じ取れた時、親を敬する者となろうし、
人、皆に親や子が居ることに気づき、人、皆に対し、敬う心が芽生えるだろう。  

今の時代、 子に家庭教師、塾に通わせ、良い高校、大学まで 成人過ぎても尚、
子の面倒を見ている親を少なからず見る。親はその子に対して、
決して老後を見てもらおうなどとは 思ってはいない。
そういった親の無償の愛情を感じ取っている 子は少なく思える。  


孔子は
「近頃では、親に暮らしの心配をかけないことが孝だとみなされている。
だが、
それだけなら、犬猫を大事にするのとなんの変わりがあろうか。
敬愛の念こそ孝の根本なのだ」と語る。

 論語 里仁第四 二十五に「徳は孤ならず、必ず隣あり」とあり、
儒教思想において重要な規範的価値は、生まれによってではなく
その人の徳の現れた実際の量の結果によって社会的地位が決せらるべきであると云う。
徳】
:思いやりの心
:人道に従うこと
:人のふみ行うべき道。社会生活上の定まった形式
:理解し判断する力
:嘘がないことで得られる信頼
敬愛の念
:年長者を敬う
:主君に尽くす

それを心で理解している人物は
「人をあなどらず」・・・善き人材、社会人であるに違いない。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。