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管鮑の交わり|史記 管仲伝|相手の身になって考えてやることが、友情の本質であるようだ。

管鮑の交わり

管鮑の交わり

第七章

管鮑かんほうまじわり

ー管鮑之交ー  史記 管仲伝
【史記:百三十巻。前漢の司馬遷が撰した、中国最初の通史。
上古の黄帝から、漢の武帝までの歴史を紀伝体で記されている】

原文:
管仲曰、
「吾始困時、嘗与鮑叔賈。
分財利多自与。
鮑叔不以我為貪。
知我貧也。
吾嘗為鮑叔謀事、而更窮困。
鮑叔不以我為愚。
知時有利不利也。
吾嘗三仕三見逐於君。
鮑叔不以我為不肖。
知我不遭時也。
吾嘗三戦三走。
鮑叔不以我為怯。
知我有老母也。
公子糾敗、召忽死之、吾幽囚受辱。
鮑叔不以我為無恥。
知我不羞小節、而恥功名不顕于天下也。
生我者父母、知我者鮑子也。」

書き下し文:
管仲曰かんちゅういわく、
吾始われはじくるしみし時、かつ鮑叔ほうしゅくす。
財利ざいりかつに多くみずかあたふ。
鮑叔我ほうしゅくわれもっどんさず。
われひんなるを知ればなり。
吾嘗われかつ鮑叔ほうしゅくために事をはかりて、さら窮困きゅうこんす。
鮑叔我ほうしゅくわれもっさず。
とき有利ゆうり不利ふりるを知ればなり。
吾嘗われかつて三たびつかへて三たび君にはる。
鮑叔我ほうしゅくわれもっ不肖ふしょうさず。
われときはざるを知ればなり。
吾嘗われかつて三たびたたかひ三たびぐ。
鮑叔我ほうしゅくわれもっきょうさず。
我に老母ろうぼ有るを知ればなり。
公子糾敗こうしきゅうやぶれ、召忽しょうこつこれに死し、吾幽囚われゆうしゅうせられてはずかしめをく。
鮑叔我ほうしゅくわれもっ無恥むちさず。
我の小節しょうせつぢずして、功名こうみょうの天下にあらはれざるをづるを知ればなり。
我を生む者は父母、我を知る者は鮑子ほうしなり。」と。

管鮑の交わり

管鮑の交わり




意解:
真の友情とは、と聞かれた時に、思い出すのが管仲かんちゅう鮑叔ほうしゅく
管鮑かんほうまじわり」である。
かん」は斉国の名宰相と言われた管仲かんちゅう、「ほう」はその重臣の鮑叔ほうしゅくのことである。

管仲が鮑叔との友情に付いて語った記述きじゅつである。
「私は、かつて貧乏びんぼうだった頃、鮑叔と店を開いて商売したことがあった。
利益を分配するとき、私は鮑叔より多くとった。
だが、鮑叔は私を欲張よくばりだと思わなかった。
私がまずしいことを知っていたからである。
また、かつて鮑叔のために事を画策かくさくして失敗し、さらに困窮こんきゅうしたことがある。
だが、鮑叔は私を馬鹿だとは思わなかった。
有利ゆうりなときと、不利ふりなときがあるのを知っていたからである。
私は、かつて多くの君主に使えたが、そのたびに君主にお払い箱にされた。
だが、鮑叔は私を無能むのう呼ばわりしなかった。
私が時節じせつに恵まれていないことをわかっていたからだ。
私は、かつて三戦して三度とも逃げたことがあるが、
鮑叔は私を臆病者おくびょうもの呼ばわりしなかった。
私に年老いた母がいることを知っていたからである。
公子糾こうしきゅうやぶれ、召忽しょうこつ殉死じゅんしし、私が拘束こうそくされはずかしめを受けた。
だが、鮑叔は私を恥知らずだとは思わなかった。
私が小さな節義せつぎを守らないことを恥じず、
功名が天下にあらはれないことを恥じるのを知っていたからである。
私を生んでくれたのは父母であるが、私を理解してくれているのは鮑叔殿である」と。

これが「管鮑の交わり」真の友情の一節である。
これで見ると、相手の身になって考えてやることが
友情の本質であるようだ。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。

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