人にして信なくんば、その可なるを知らざるなり|中国古典 名言に学ぶ

人にして信なくんば、その可なるを知らざるなり

人にして信なくんば、その可なるを知らざるなり

第七章

人と接するための心得

ひとにしてしんなくんば、そのなるをらざるなり

ー人而無信、不知其可也ー  論語 為政第二 二十二
【論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。
儒家の聖典とされている。四書の一つ】

原文:
子曰、
人而無信、不知其可也
大車無輗、小車無軏、
其何以行之哉。

書き下し文:
子曰しいわく、
人にしてしんなくんば、なることをらざるなり。
大車だいしゃげいなく、小車しょうしゃげつなくんば、
なにもってかこれをらんや。

人にして信なくんば、その可なるを知らざるなり

人にして信なくんば、その可なるを知らざるなり

意解:
孔子曰こうしいわく、
「人としての信義しんぎがなければ、うまくやって行くことなど出来ない。
大きな牛車にげい(くびき:牛馬をつなくための横木)が無く、
小さな馬車にげつ(くさび:軛止め)が無ければ、
どうして走らせる事が出来るだろうか」

馬車に欠かせないげいげつたとえて語っている。

「信」とは、嘘をつかない、約束事を守るといった意味である。
その「信」に欠けていたら、人としての評価に値しない、と言っている。
信頼できない人物のレッテルを貼られても、やむおえないだろう。

これは孔子の認識だけでなく、中国人の伝統的な認識でもあった。
しかし、これはあくまでも、かくありたいという理想であって、
現実は人皆、「信義しんぎ」を持ち合わせているわけではない。
平気でうそをつく人物が多いのも確かである。

益者三友えきしゃさんゆう損者三友そんしゃさんゆう」、人を見極める眼が必要である。
相手が「信義」のある人物であるかを確かめた上で、
対応するべきであろう。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。

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