
人主の逆鱗に嬰るるなくんば則ち幾し
第七章
人主の逆鱗に嬰るるなくんば則ち幾し
ー無嬰人主之逆鱗則幾ー 韓非子 説難
【韓非子:二十五巻五十五篇。戦国時代の韓非の撰。
先秦時代の法家の学を集大成し、それに韓非の考えを加えたもの。
はじめ「韓子」と称したが、宋以後、唐の韓愈と区別するため「非」の字を加えたもの】
原文:
夫龍之為蟲也、柔可狎而騎也、
然其喉下有逆鱗径尺、
若人有嬰之者、則必殺人。
人主亦有逆鱗。
説者能無嬰人主之逆鱗、則幾矣。
書き下し文:
夫れ龍の蟲為るや、柔なるときは狎れて騎るべきなり。
然れども其の喉下に逆鱗の径尺なる有り、
若し人之に嬰るる者有らば、則ち必ず人を殺す。
人主亦た逆鱗有り。
説者能く人主の逆鱗に嬰るること無くば、則ち幾からん。
*説者:説を述べる人

人主の逆鱗に嬰るるなくんば則ち幾し
意解:
「⻯という動物は、馴らせば、⼈が乗れるほどおとなしい。だが、喉の下に直径⼀尺ほどの鱗が逆さまに⽣えていて、これに触れようものなら、必ず⼈を噛み殺す。
⼈のトップにもこの逆鱗がある。
それに触れないように話すのが説得の極意である。」
「韓⾮⼦」は、トップを説得する極意を語る中で、
「トップを説得することの難しさとは、相⼿の⼼を読み取った上で、
こちらの意⾒をそれに当てはめる。それが説得の極意である」と⾔っている。
⼈のトップだけではなく、⼈間は誰でも逆鱗のようなものを持っている。
それに触れないように⼼がけることが⼈間関係を円滑にする極意なのかもしれない。
*参考資料:「中国古典⼀⽇⼀⾔」守屋洋(著)をもとに、
⾃分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、⽇々、何をするにしても
⼤なり⼩なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴⽅も私も 在りたいですね。