第七章 人と接するための心得
韜晦して圭角を露すなかれ
ー韜晦無露圭角ー 宋名臣言行録 前集巻七
【宋名臣言行録:二十四巻。前集十巻、後集十四巻は南宋の朱熹の撰。続集八巻、別集二十六巻、外集十七巻は李幼武の補。宋代名臣の言行を集めたもの】
原文:
韜晦無露圭角
書き下し文:
韜晦して圭角を露すなかれ
意解:
「韜晦」は、隠して外に現さないこと。「圭角」は、この場合は、才能を指している。
宋代に杜衍という宰相がいた。門下生の一人がある県の知事に任命された時、
この言葉を引いて、なるべく目立たぬよう振る舞ったほうが善いと忠告した。
門下生は納得できず、その理由を尋ねたところ、杜衍は答えて
「そなたの場合、今やっと県知事に任命されたばかり、
今後の昇進は上司のサジ加減ひとつにかかっている。
ここで下手に才能をひけらかせば、上司に嫌われるばかりか、
無用の禍を招くのがオチであろう。それ故に、
なるべく控え目に振る舞うが善いと申したのじゃ」と。
組織社会で生きている者には、今も昔も、このような用心深い配慮が
必要なのかもしてない。杜衍の忠告を、必ずしも老婆心と笑うことはできない。
書経 説命中に「その能を矜れば、その功を喪う」とある。
才能や実力のある者は、
軽々しくそれを見せつけるようなことは
しないほうがよいだろう。
老子 第七十一章にも「知りて知らずとするは上なり」とある。「老子」の一節である。
「知っていても知ったかぶりをしない。これが望ましいが、
知らないのに知ったかぶりをする。それは人間の大きな欠点である」と言っている。
無為の聖人と言われる人物は、己れの欠点を欠点として謙虚に認めて
改善していくからこそ、欠点のない聖人と言われている。
己を見つめて、より善い言動(選択、決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。