士は己を知る者のために死す|士為知己者死|史記 刺客列伝 豫襄|
第八章 リーダーの心得
士は己を知る者のために死す
ー士為知己者死ー 史記 刺客列伝 豫襄
【史記:百三十巻。前漢の司馬遷が撰した、中国最初の通史。上古の黄帝から、漢の武帝までの歴史を紀伝体で記されている】
原文:
士為知己者死、
女為悦己者容。
書き下し文:
士は己を知る者のために死し、
女は己を愛する者のために化粧する。
意解:
春秋時代の末期、豫譲(予譲)という男が普の重臣の知伯に重用されていた。
やがて知伯は政敵の趙襄子に滅ぼされる。このとき、豫譲は山中に逃れ、
「ああ、士は己を知る者のために死し、女は己を愛する者のために化粧する。
主君の怨みは必ず晴らす」と言って復讐を誓い、襄子をつけねらう。
だが、苦心の甲斐もなく捕らえられ、襄子のまえに引きすえられる。
襄子が「おまえは、他にも仕えたことがあるのに、どうして知伯のためだけ
仇を報いようとするのか」と詰問したところ、豫譲はこう答えたという。
「他にも使えたことは仕えたが、待遇は十人並みだった。だが、知伯は、
国士として遇してくれた。だから私も国士として報いるのだ」と。
この説話は、部下の心情を理解し、それを態度で示すことが
相手のやる気を引き出すカギになることを教えているように思う。
リーダーたる者、このように、「一命を賭して」言い直せば、
一個人の利益や損得を超えて、事に当たってくれる人材を
部下に持つことができれば、これ程心強いことはない。
そして、上司が自分の能力を、把握してもらえているか(理解者)が、
部下にとっては重大なことである。どんな仕事であっても、
上司が自分を見ていてくれて、認めてくれていることを知れば、
それに報いるために、最善の努力をして、組織のために働く、
それが人の心の常である。
三国志 諸葛孔明 後出師表に「鞠躬尽力、死して後已まん」がある。
これは、孔明が二代目劉禅に奉った出陣の挨拶状とでも言うべき
「後出師の表」の結びのところに出てくる。「鞠躬」とは、
上の者の命令をかしこんで承るといった意味で、この場合、
命令とは劉備の遺言ということになろう。孔明の後半生はまさに
「鞠躬尽力」そのものであり、それが長く人々の感動を誘う理由となっている。
これこそ、「士は己を知る者のために死す」を表す理解者(劉備玄徳)に
対する諸葛孔明の命をかけて報いる姿だろう。
参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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