
流水の清濁はその源に在り
第八章
流水の清濁はその源に在り
ー流水清濁在其源ー 貞観政要 論誠信第十七 第一章
【貞観政要:じょうかんせいよう|十巻。唐の呉兢の著。
唐の太宗と重臣とが政治に関して論じたものを、四十門に分けて類編した書】
原文:
流水清濁、在其源也。
君者政源、人庶猶水、
君自為詐、欲臣下行直、
是猶源濁而望水清。
理不可得。
書き下し文:
流水の清濁はその源に在るなり。
君は政の源、人庶は猶ほ水のごとし。
君自ら詐を為して、臣下の直を行はんことを欲するは、
是れ猶ほ源濁りて而も水の清からんことを望むがごとし。
理として得可からざるなり。
*詐:いつわり
*理:ことわり

流水の清濁はその源に在り
意解:
名君といわれた唐の太宗が、次のように語っている。
「流水が澄んでいるか、濁っているかは、源の善し悪しにかかっている。
君主と人民の関係を河に例えれば、君主は源、人民は流水のようなものだ。
君主が自分ででたらめな事をしておきながら、
臣下にまっとうなことを期待するのは、
ちょうど濁った源をそのままにしておいて流水の澄むことを望むようなもの、
土台無理な話ではないか」
太宗の言う君主と人民の関係を、
企業の管理職と部下の関係に置き換えても、同じことが言えよう。
トップがまともであれば、自ずから部下もまっとうになり、
トップがでたらめであれば、自然にそれが部下にも感染していく。
部下が言うことを聞いてくれないとこぼす前に、
自分の普段の言動をチェックしてみる(自戒)必要があるのかもしれない。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。