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まさに大いに為すあらんとする君は、必ず召さざる所の臣あり|孟子|

まさに大いに為すあらんとする君は、必ず召さざる所の臣あり50,96 第八章 リーダーの心得
まさに大いに為すあらんとする君は、必ず召さざる所の臣あり50,96

第八章 リーダーの心得

 

まさにおおいにすあらんとするきみは、かならさざるところしんあり

ー将大有為之君、必有所不召之臣ー  孟子 公孫丑章句下
孟子もうし:七編。戦国中期の儒家孟軻もうかの言行や学説を編集したもの。性善説や王道論は有名。四書の一つ】




原文:

將大有爲之君、必有所不召之臣
欲有謀焉則就之。
其尊德樂道、不如是不足與有爲也。
故湯之於伊尹、學焉而後臣之、故不勞而王。
桓公之於管仲、學焉而後臣之、故不勞而霸。
今天下地醜德齊、莫能相尚。無他。
好臣其所敎、而不好臣其所受敎。
湯之於伊尹、桓公之於管仲、則不敢召。
管仲且猶不可召、而況不爲管仲者乎。




書き下し文:

まさにおおいにすあらんとするきみは、かならさざるところしんあり。
はかるらんとほつせば、すなはこれく。
とくたつとみちたのしむことかくごとくならずんば、くみあるらざるなり。
ゆえたう伊尹いいんける、まなびてしかしてのちこれしんとす。ゆえらうせずしておうたり。
桓公かんこう管仲かんちゅうける、まなびてしかしてのちこれしんとす。ゆえろうせずしてたり。
いま天下てんかみにくとくひとし、よくあいくはふなきは、なし。
おしえところしんとするをこのみ、しかしてをしえうくところしんとするをこのまざればなり。
とう伊尹いいんける、桓公かんこう管仲かんちゅうける、すなはあへさず。
管仲かんちゅうすらからず、しかるをいはん管仲かんちゅうさざるものをや。

まさに大いに為すあらんとする君は、必ず召さざる所の臣あり50,96

まさに大いに為すあらんとする君は、必ず召さざる所の臣あり50,96




意解:

「将来、大事業を成し遂げようとする君主には、必ず呼びつけにできない臣下がいる」

過去の例を見ても、然りである。例えば、
いんの名相伊尹いいんは、殷の湯王とうおうを助けて夏の桀王けつおうを討ち、殷王朝建設に尽力。
湯王はこれをたっとんで阿衡あこう(摂政・関白の異称)と称した。
春秋時代に最初の覇者となった桓公かんこうには、管仲かんちゅうという名補佐役がついていた。
桓公は臣下の管仲を「仲父ちゅうほ」とうやまって教えを受けたという。

また、「三国志」の劉備りゅうびも、「三顧さんこの礼」をはらって諸葛孔明しょかつこうめいを軍師に迎え、
以後、作戦計画の立案策定は挙げて孔明に委ねている。

だが、並のトップにはこれができない。「孟子もうし」も、こう言ってなげいている。
「今、各国の王はいずれもどんぐりの背比べで、傑出けっしゅつした者がいない。
それというのも、自分以下の人間だけを臣下にしたがり、
自分より優れた人物を臣下にしたがらないからだ」と嘆く。

呼びつけにできる臣下にばかり取り囲まれていたのでは、
大きな仕事などできないばかりか、人間的な堕落だらくまで招きかねない。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。