水清ければ大魚なし|水清無大魚|後漢書 班梁列傳|

第八章 リーダーの心得
水清ければ大魚なし
ー水清無大魚ー 後漢書 班梁列傳
【後漢書:百二十巻。本紀十巻、列伝八十巻は、南北朝時代、南朝宋の氾嘩の撰で、志三十巻は晋の司馬彪の続漢書から取っている】
原文:
水清無大魚、
察政不得下和。
書き下し文:
水清ければ大魚なし、
察政は下の和を得られず。
*察政:厳しい政事

意解:
むかしから中国では、たとえば「水至って清ければ則ち魚なし」とか
「水清ければ魚棲まず」など同じようなことばが諺のように使われていたらしい。
後漢の時代に、西域の経略に活躍した班超という人物がいる。
この人が任を終えて帰国したとき、後任者から西域経営の心構えを問われて、
こう語ったという。
「なにぶんにも西域は異民族の地、これを帰服させるのは容易なことではない。
見たところ、君の性格はきびしすぎる。水清ければ大魚なし、というではないか。
あまりにも厳しい態度で臨めば、地元の人々の支持を失ってしまう。それゆえ、
できるだけ寛容な態度で臨み、小過(わずかな過失)は許して
大綱(物事の基本)だけを押さえるようにつとめるがよい」
細かいことで目くじらを立てるようでは、人々の支持は得られない。
これは、人間関係、組織管理に共通する鉄則である。
すべからく寛容の精神で臨みなさいというもの。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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