清にしてよく容るるあり、仁にしてよく断を善くす|菜根譚 前集|
第一章 自己を高める
清にしてよく容るるあり、仁にしてよく断を善くす
ー清能有容、仁能善断ー 菜根譚 前集84項
(菜根譚:明の洪自誠編。前集222条では人との交わり、事治、対応の道を説き、後集135条では退静閑居の楽しみを論じている)
{原文}
清能有容、仁能善断。
明不傷察、直不過矯。
是謂蜜餞不甜、海味不鹹、
纔是懿徳。
{書き下し文}
清なるも能く容るる有り、仁なるも能く断を善くす。
明なるも察を傷つけず、直なるも矯に過ぎず。
是れを蜜餞甜からず、海味鹹からずと謂う。
纔かに是れ懿徳なり。
*懿徳:りっぱな徳。美徳。
{口語訳}
清廉潔白でありながら受容性があり、慈悲深いが決断力もある。
頭脳明晰でありながら批判的に人を傷つけることは無く、
正直だが介入的でない。
このような人物は、甘すぎない砂糖漬けドライフルーツであり、
塩辛すぎない塩辛のようで、それでこそ麗しい立派な美徳といえる。
{意解}
「清」は、清廉である。
「仁」とは、思いやりである。
「清廉であってしかも包容力がある。思いやりがあってしかも決断力に富んでいる」
という意味になる。
多くの誘惑に染まらず、心身ともに清潔にたもつのは簡単ではない。
そうゆう意味では、清廉は美徳と言える。しかし、清廉であろうとすれば、
他に又、自分に厳しさを求めるあまり寛大さ、包容力に欠けやすい。
思いやり(仁)も同等に美徳と言える。然し、優しさも過ぎると
情に流され時として、適時な判断力をにぶらせる。
この相容れ難い要素を両立させれば、
理想的な人格形成がなされるのだという。
「菜根譚」は「こういう人物こそ、”蜜を使っても甘すぎず、
塩を使っても辛すぎない”と言い、理想的な人間像に近いのではないか」と語る。
物に、娯楽に満ち溢れ、人との親交が薄れている現代においては
たいへん難しいことのように思われる。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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