安居なきに非ず、我に安心なきなり|非無安居也、我無安心也|墨子|

第四章 着実に生きる
安居なきに非ず、我に安心なきなり
ー非無安居也、我無安心也ー 墨子 親士
(墨子:十五巻。墨擢とその学派の学説を記したもの。墨擢の撰といわれているが、
その門人の撰であると現在では考えられている。)
{原文}
吾聞之、曰、「非無安居也、我無安心也。
非無足財也、我無足心也。」
是故君子自難而易彼、衆人自易而難彼。
君子進不敗其志、退究其情、
雖雑庸民、終無怨心。彼有自信也。
{書き下し文}
吾之を聴く、曰く、「安居なきにあらざるなり。われに安心なきなり。
足財なきにあらざるなり、われに足心なきなり。」
この故に君子は自ら難くしてかれらを易くす。
君子は進みてその志を敗らず、しりぞきてその情をやまず、
雇民にまじわるといえども、ついに怨心なし。
かれに自信あればなり。

{意解}
私は聞いたことがあります。
「安居する場所が無いのではなくて、
心を安らかにする術を知らず。
財産が足り無いのではなく、
足るを知る(知足)を心得ていないのだと」
君子は、難しいことに挑戦し困難を誰かに押付けることはない。
順境にあっても志を忘れず。逆境にあっても落ち込むことは無い。
ありふれた民衆の中で暮らしても、文句を言うことがない。
それと言うのも彼の君子は自信に満ち溢れているからだ。
今回は、「安居なきに非ず、我に安心なきなり」です。
心さえ満ち足りていれば、どんな境遇に置かれても安らかに暮らすことができる。
安らかに暮らすことができないのは、我が心に問題があるからだ、と云っている。
その例として、「韓非子」に残っている話を紹介すると、
斉国の慶封という重臣が国もとで反乱を起こし、
失敗して越の国に逃げようとした。それを見た親族のものが、
「晋の方が近いのに、どうして晋に逃げないのか」とたずねたところ、
慶封は、「越の方が遠いから、身を隠すのに都合が良い」と答えた。
これを聞いて、親族の者は次のように諌めた。
「心さえ入れ替えたら、晋に居ても恐れる必要はない。
今のままの不安な心では、越まで逃げていったところで、安心は得られまい」と。
勿論、環境の大切なことは否定できないが、どんなに恵まれた環境にいても、
心が不安定では、真の安らぎは得られないということである。
すべからく、心の持ちようである。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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