敗軍の将は以て勇を言うべからず|敗軍之将、不可以言勇|史記|

第八章 リーダーの心得
敗軍の将は以て勇を言うべからず
ー敗軍之将、不可以言勇ー 史記 准陰候列伝
【史記:百三十巻。前漢の司馬遷が撰した、中国最初の通史。上古の黄帝から、漢の武帝までの歴史を紀伝体で記されている】
原文:
於是信問廣武君曰、
僕欲北攻燕、東伐齊。
何若而有功。
廣武君辭謝曰、
臣聞、敗軍之將、不可以言勇。
亡國之大夫、不可以圖存。
今臣敗亡之虜。何足以權大事乎。
書き下し文:
是に於いて信、広武君に問いて曰く、
僕、北の燕を攻め、東の斉を伐たんと欲す。
何若せば功有らん、と。
広武君、辞謝して曰く、
臣聞く、敗軍の将は以て勇を言うべからず。
亡国の大夫は以て存するを図るべからず。
今、臣は敗亡の虜なり。
何ぞ以て大事を権るに足らんや、と。

意解:
失敗した者は、その事について意見を述べる資格がない、といった意味である。
敗軍の将、広武君李左車のことばである。
漢を打ち立てた劉邦の優秀な部下である韓信将軍(国士無双)が
趙を征伐した時のことである。趙には広武君李左車という名将がいたが
李左車の作戦は趙の宰相に退けられる。これが韓信が勝利する一つの勝因である。
この戦で韓信は戦いでは禁じられている河を背にする陣、
(有名な背水の陣の故事になった井陘の戦い)を執る。
逃げるための船も焼き、兵に勝つか死ぬかの決断を迫ったのである。
結果は、漢はまさに死に物狂いで戦いかろうじて勝利を収める、
漢兵3万が趙兵20万を破り、勝利したのである。
韓信は捕えた李左車に、主君が広武君の計略を取り入れていたならば、
結果は逆転して韓信が負けていたこと、
主君が広武君の計略を入れなかったがために勝利でき、
アドバイスを受ける機会を得たこと、
心底から教えに従う覚悟であることを、
厚く礼を尽くして語り、問う。
「北の燕と東の斉を征伐するつもりです。
どうすればやり遂げれるでしょうか」と。
韓信の熱弁はやがて広武君李左車の心を動かし、
「士為知己者死:士は己を知る者のために死す」
(自分の真価をよくわかってくれる人のためには
命をなげうっても尽くすものだとの意。)
李左車は、燕と斉討伐の秘策を語ったといわれる。
韓信の謙虚さを表した事例に、
史記 淮陰侯伝の「智者も千慮に必ず一失あり、愚者も千慮に必ず一得あり」がある。
この諺は「智者の一失」を笑うのではなく 「愚者の一得」に重きをおいている。
智者といえどもいつでもどんな時でも完璧たりえるわけではないし、
どんな人の意見にも必ず耳を貸す点が智者と言われる所以である。
「他を軽んじる思い込みは、 自他共に良い結果にはならない。」と言い、
常に謙虚であれと云っている。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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