天下の憂いに先立ちて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ|文章規範|
第八章 リーダーの心得
天下の憂いに先立ちて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ
ー先天下之憂而憂、後天下之楽而楽ー 文章規範 范仲淹 岳陽楼記
【文章規範:七巻。宋の謝枋得の編。科学受験者のために規範となりうる文を集めたもの。諸葛孔明の「出師の表」と陶淵明の「帰去来辞」以外は、唐宋の文を選んでいる】
原文:
居廟堂之高、則憂其民、
處江湖之遠、則憂其君。
是進亦憂、退亦憂。
然則何時而樂耶。其必曰、
先天下之憂而憂、
後天下之樂而樂歟。
噫、微斯人、吾誰與歸。
書き下し文:
廟堂の高きに居りては、則ちその民を憂ひ、
江湖の遠きに處りては、則ちその君を憂う。
是進むもまた憂ひ、退くもまた憂う。
然らば則ち何れの時にか楽しまんや。それ必ず曰ん、
天下の憂いに先立ちて憂い、
天下の楽しみに後れて楽しむ。
噫、微なれば斯の人、吾誰にか歸せんや。
意解:
憂うべき事態は人々が気づく前に察知して解決に奔走し、
楽しみごとは人々に楽しんでもらってから、自分はその後で楽しむ。
略して「先憂後楽」といい、
リーダーのあるべき心構えを語った言葉だとされる。
宋代の范仲淹という政治家の書いた、
「岳陽楼記」と題する文章の中に出てくる。
范仲淹はこの文章を次のように結んでいる。
「高い立場にいる時には、その国や民衆のことを考えるべきであるし、
官位を離れて民間の中にいる時には、
遠くから君主の政治を心配するべきなのである。
士官して政治の中心にいても、退いて民間にいても
国のことを考えるのが為政者なのである。ならば、
いつ楽しむことができるのであろうか。
その為政者は必ず
「天下の憂うべき事態は人々が気づく前に察知して解決に奔走し、
楽しみごとは人々に楽しんでもらってから、自分はその後で楽しむのだ」と
言うであろう。ああ、このような心を持った為政者がいなければ、
私は誰に従えばよいのであろうか。」
これは范仲淹自身の決意表明であったわけだが、
現代のリーダーにも同じことが望まれるであろう。いつの時代でも、
人々は「先憂後楽」型のリーダーが現れるのを待っているのである。
論語 述而第七に「憤りを発して食を忘れ、楽しみて以って憂いを忘る」とある。
これは、孔子が自ら描いてみせた自画像である。
「汝なんぞ云わざる。その人となりや、憤りを発して食を忘れ、
楽しみて以って憂いを忘れ、老いのまさに至らんとするを知らざるのみ。」と
なぜ答えてくれなかったのかね。時勢を憂えると食事のことも忘れてしまう。
楽しみごとに熱中すると心配事も吹っ飛んでしまう。
そうして老い先の短いことも忘れている男だ、と。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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