意なく、必なく、固なく、我なし|毋意、毋必、毋固、毋我|論語|

第二章 自己を高める
意なく、必なく、固なく、我なし
ー毋意、毋必、毋固、毋我ー 論語 子罕篇 第九
(論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。儒家の聖典とされている。四書の一つ。)
{原文}
毋意、毋必、毋固、毋我。
{書き下し文}
意なく、必なく、固なく、我なし。

{意解}
孔子の人格を明快に語った言葉だといわれる。
人生の恵まれない逆境の中で 絶えず自分を鍛え、
磨いてきた孔子の 努力の象徴である。
意なく― 主観だけで憶測する事無く
必なく― 自分の考えを無理に押し通す事無く
固なく― 一つの考えを無理に押し通す事無く
我なし― 自分の都合しか考えぬ事無し
この一文は決して孔子を「他山の石」として学ぶだけではなく、
他人を顧みない自分本位の心情を戒めたものでもある。
往々にして私たちは、 自分の利益や名声・立場を守ろうとして、
自分中心の考えにこだわり、 自分の考えを他人に押し付けたり、
それに基づき他人の考えや行動を責めたりしがちである。
そこには信頼関係も生まれてはこない。
少し、ほんの少しの柔軟な心で観直せば
「手際の悪い人」も、「慎重な人」に
「おせっかいな人」も、「面倒見がいい人」に
「不平不満が多い人」も、「批判力に富む人」に
「頑固、強情な人」も、「意志の強い、根性のある人」 と
見方を変えることができる。
毋意、毋必、毋固、毋我
どれをとっても容易に身につくものではないが、
この”柔軟な心”で観れるように努力すれば、自然に心にゆとりが生まれ、
自分自身を高めていくことができるのではないだろうか。
この言葉を自分に落とし込み、 自戒し、悔い改める度量を 持ちたいものですね。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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