知者はこれに過ぎ、愚者は及ばず|ナオンの言葉の散歩道81
02/15

第二章
知者はこれに過ぎ、愚者は及ばず
ー知者過之、愚者不及也ー 中庸
(中庸:もと「礼記」中の一篇であったが、後に四書の一つに数えられた。
孔子の孫の子思の撰と伝えられている。)
{原文}
知者過之、
愚者不及也。
{書き下し文}
知者はこれに過ぎ、
愚者は及ばず。
{意解}
「中庸」の美徳を語った言葉である。
「中庸」とは、物の見方も行動も、一方に偏らないこと、
ほどよくバランスがとれている、
「大きく偏らない考えや判断に宿っている徳」という意味である。
知者も愚者も、方向こそちがえ、共にこの「中庸」に反しがちだという。
なぜ知者は過ぎるのか。
探究心が旺盛なので、肝心なことはそっちのけで、
つまらぬことをほじくりかえす傾向があるからだという。
これとは逆に、愚者は理解のレベルが低いので、
とかく及ばぬ傾向が強いのだという。
ただ、「過不及」のないこと、
全体を足して割った 平均値を指しているわけではない。
中庸の「中」は『偏らないこと』、
「庸」は『普通・凡庸であること』を意味するが、
儒教の倫理規範の最高概念である中庸には
『その場における最善の選択』 という意味も込められている。
「論語」にも
子曰、
中庸之爲徳也、
其至矣乎、
民鮮久矣。
子曰く、
中庸の徳たるや、
其れ至れるかな、
民鮮なきこと久し。
中庸の徳とは、最も素晴らしい徳である。
しかし、一般の人々の行いに表れなくなって久しい。と。
備考:
中者不倚而中節之名也。知者過愚者不及、中庸之不能行也。
能中庸、則喜怒哀楽及家国天下之用、 皆可中節。 中者天下之大本也。
中は倚らずして節に中るの名なり。
知者は過ぎ愚者は及ばざるは、中庸の能く行はれざればなり。
中庸を能くすれば、則ち喜怒哀楽、及び家国天下の用、
皆な節に中る可し。
中は天下の大本なり。
ー その場における最善の選択 ー
*「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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